6月11日〜12日に行われたル・マン24時間耐久レースで、ともに2号車アウディR18 TDIに乗り込み初めての総合優勝を飾ったブノワ・トレルイエとアンドレ・ロッテラーが、スーパーGT第3戦セパンの決勝日に、記者団の求めに応じ記者会見に臨み、日本、マレーシアのメディアに優勝の喜びを語った。

 ル・マン24時間ではトレルイエのドライブでポールポジションを獲得。さらに、決勝ではアウディ勢がことごとくクラッシュを喫する中、トレルイエとロッテラー、そしてマルセル・ファスラーはハイペースで走行を続け、プジョー勢の猛追を振り切り見事優勝を飾った。

 そんなル・マンから1週間が経ち、スーパーGT第3戦セパンにMOTUL AUTECH GT-R、PETRONAS TOM'S SC430のドライバーとしてふだん戦う日本のシリーズに戻ったふたりは、それぞれのチームからル・マンでの勝利を盛大に祝われたという。金曜日にはトムス、ニスモでそれぞれ大きな祝福を受けた。

 ル・マンでの勝利の感想を求められたふたりは、「今までの人生の中でも体験したことがないくらい素晴らしい気分だよ。こんなに早く目標を達成することができるとは思わなかったしね。それに、仲良しの友人たちとともに勝利を飾れたことも最高だ(ロッテラー)」「素晴らしい友人と勝てたのは僕も嬉しいね(笑)。今回、マレーシアに来てふだんの仕事に戻っているけど、52kgのウエイトはちょっと苦しいね(トレルイエ)」と笑顔でコメントした。

 09年に父親を亡くしたロッテラーは、「すごいプレッシャーの中で、フィニッシュした瞬間にそれがすべて抜け落ちていくような感じだった。他のチームメイトのクラッシュがあったし、リスクを避けなければならなかった。チームに感謝したいし、僕のお父さんも見守ってくれいていたと思うんだ」とチェッカーの時の状況を語る。

 また、トレルイエは「日本のスーパーGTのレベルの高さを世界に示すことができたんじゃないかと思うんだ。僕は日本でレースについて学んだし、日本での経験がなければル・マンで戦うことはなかったと思う。日本では3月に震災があって、日本の皆さんがどれほど努力して復興を目指しているかヨーロッパの人たちは知っているし、また改めてそれを示すことができたと思う。日本の皆さんの声援も知っていたし、本当に感謝しているんだ」と日本への感謝を語った。

 ル・マンでのふたりは日本のライセンスで登録していたために、国際映像では常に日の丸とともにふたりの名が表示された。「震災の前からふたりで決めていたことなんだけどね」とふたりは断りながらも、「僕はフランス人なのに、なんで日本のライセンスで走ってるんだなんて言われたけどね(笑)、僕は“ジャパニーズ・レーシングドライバー”だからさ(トレルイエ)」「僕は日本で戦っていることがほとんどだからライセンスも日本なんだ。でも、本当に光栄なことだと思うよ(ロッテラー)」とコメント。日の丸を胸に戦ったル・マンでの勝利に幸せそうな笑みを浮かべていた。

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