F1ニュース

投稿日: 2012.11.22 00:00
更新日: 2018.02.16 13:01

《コラム》日本人が最も愛したフェラーリF1マシン


●F1ブームに酔った日本
 今から22年前の1990年、あなたはどこで何をしていただろうか?

 バブル景気に沸いていた当時の日本は、世界経済の中心にいたと言っても過言ではなかったと思う。ちょうどその頃、ニッポンは空前のF1ブームの真っ只中にもあった。現在30歳オーバーの人たちの中には、あの“F1熱狂時代"を覚えている方も少なくないはずだ。

 男性ファンが大半だったモータースポーツがあれほどの一大ブームとなったのは、やはり女性ファンを取り込んだことが大きかっただろう。特に若い女性からの高い支持は“異常"とも思え、女性誌やファッション誌がF1特集を組むほどだったのだから……(「セナ様~」って言いながら、女子がキュンキュンしている某ガソリンメーカーのTVCMなどもあった)。

 そんなブームの火付け役となった存在として、フジテレビの貢献を無視することはできない。賛否両論あるだろうが、そういったレースに無知な人たちの関心をF1に向けさせたのは、フジテレビの演出にあったのだと思う。

 言葉は悪いが、あの時代のF1ファンの大半はレースファンではなかった。ある種、ハリウッドや芸能界のスターに向けられる眼差しと同じものがF1ドライバーに向けられていた。それが、あの時代のF1人気をもたらしたのだと思う。

 フジテレビの“脚色"は見事だった。女性受けするドライバーに“善"のイメージを植え付け、そのライバルを“悪"とした。そして、その周囲の人物関係を見事に描写することで、F1中継をまさにトレンディドラマを見る感覚で観戦させたのである。

 フジテレビの戦略通り、アイルトン・セナは日本国内で絶大な人気を誇った(もちろん、その多くが女性ファン)。一方、ライバルのアラン・プロストは見事なまでのヒール役となっていく。

●世論を二分したセナvsプロスト
 当時のプロストとセナのライバル関係は、F1そのものを超越するかのような勢いがあった。ふたりの一挙手一投足にF1界全体が翻弄されるほどだったのだから。88年から本格化した「セナプロ対決」は、マクラーレン・ホンダでのコンビを解消した90年も続く。

 はっきり言って当時のふたりがF1を戦う理由は、最大のライバルを倒すため、それ以外になかったはずだ。プロストはセナを、セナはプロストを……。それによってメンタル的ダメージを負う時もあったが、大きなモチベーションとなっていたことも事実だった。

 そんなふたりだからこそ、彼らが友人になどなれるわけもない。絶対に倒さなくてはいけない相手。やがてその思いだけが増長して憎しみとなり、確執が生まれていく。それが89年、90年の天王山となった日本GPでふたりの接触事故を引き起こすきっかけとなった。

 プロストは決してスタートがうまいドライバーではない。そんな彼が一斉一大のベストスタートを決めたのが、90年の日本GPだったと言えるだろう。彼は愛機フェラーリ641/2を誰もいない1コーナーへと誘う。しかし、次の瞬間にプロストのマシンに衝撃が走り、気付いた時に彼はサンドトラップの中にいた。プロストがリタイアとなった時点でセナのタイトルが決定という条件のもと、好スタートを切ったプロストの641/2に対してセナは、“カミカゼ"特攻のごとく、自ら操るマシンで体当たりを食らわせたのだ。

●敗北、されど強い存在感を示した駿馬
 当時をリアルタイムで見ていたプロストファンは、鈴鹿の接触劇がなければプロストが逆転タイトルを手にできたかもしれないと思ったはずだし、セナへの敵意をさらに増長させたことだろう。しかし、20年以上の年月が経った今、プロストはあの日の出来事を振り返り「避けることのできない事故だった」と語る。当時はセナの振舞いに嫌悪感を示していた彼が「今ならセナの気持ちがわかる」と言うのだ。もちろん、セナが存命ではない事実が、プロストの考え方を和らげたとも言える。

 さらにプロストは、タイトルは鈴鹿で決まったが、その前にすでに決着はついていたとも言う。セナの激突によりタイトルを奪われたのではなく、身内に戴冠を“妨害"する存在がいたと語る。それを象徴するシーンが、僚友ナイジェル・マンセルに妨害されたためにマクラーレン・ホンダの2台に先行を許してしまった、ポルトガルGPのスタートだったというのだ。

 プロストもフェラーリ641/2も、90年シーズンの敗者である。しかし、この組み合わせがもたらす衝撃は桁外れだった。純粋な彼のファンは疾走する紅い駿馬に心酔し、アンチには脅威的な存在としてのイメージを植え付けさせた。F1グランプリ60年以上の歴史の中で誕生した多くのチャンピオンマシンにも引けを取らない魅力が、あのマシンにはあった。おそらく641/2は、日本人が最も愛したフェラーリF1マシンと言えるはずだ。そしてプロストは言う、「641/2を駆ったあのシーズンが、自分のキャリアの中で最も完成されたドライビングができた」と。

●『GP Car History Vol.2 Ferrari 641/2』
Flash Back 「美しき駿馬の嘆き」
‐アラン・プロスト インタビュー「鈴鹿でタイトルを失ったんじゃない。戦犯はマンセルさ!」
‐641/2フォトギャラリー
大解剖641/2
‐開発者が語る641/2誕生の真実
‐全16戦の仕様とモディファイ
‐スケドーニと跳ね馬
‐デザイナー奥明栄が641/2の開発意図を読み解く
‐セミオートマ開発
‐V12エンジンのこだわりと苦悩
PROST×MANSELL
‐プロストvsマンセルのサイド・バイ・サイド
‐マンセルの1990年シーズン
‐笑うマンセル、怒るプロスト―第13戦ポルトガルGP
チェザーレ・フィオリオの回想
641/2とジャン・アレジの数奇な運命

『GP Car History Vol.2 Ferrari 641/2』
http://as-web.jp/news/info.php?c_id=7&no=44776