そして2011年は晴れてファクトリーチームに昇格すると、円熟期を迎えたローブに対し真っ向勝負を挑み、ポルトガル連覇やアクロポリス制覇を含む年間5勝をマークし、ローブとミッコ・ヒルボネンに次ぐランキング3位を記録する。しかし前任者ソルドとは異なり、絶対的No.1待遇を受けるローブとの処遇差を公然と批判したオジエは、2013年からのWRC参戦プロジェクトを表明していたフォルクスワーゲン(VW)に移籍する決断を下す。
今季『Red Bull TV』で公開されたオジェの長編ドキュメンタリーでは、本人が当時を振り返って次のように述懐している。「ローブというアイコンに挑戦したかった。たまに『2011年は君にとって良い年ではなかったね』と言われる。そう、誰もが僕にネガティブな発言をさせようとしていた。それでも僕はポジティブなことだけを心に刻む。2011年は、僕にとって成長の1年だった」
そのローブが前人未到のWRC9連覇を達成した2012年は、発展途上のキャリア1年をVWのプロジェクトに捧げるかたちでシュコダ・ファビアS2000をドライブしつつ、翌年投入予定の『ポロR WRC』のテストと開発作業に専念。それでも第12戦イタリア・サルディニアでは、並み居るWRカーを抑えてSSベストを叩き出すなど存在感を見せつける。
そして2013年。ここからオジェの伝説が幕を開け、初年度の初タイトル獲得以降、2016年までVWとの4連覇を達成する。かつてトミ・マキネンやローブが記録した連覇記録に並んだオジェだったが、シリーズ撤退を決めたVWとの別れを経て、2017年は新型『フィエスタWRC』をドライブするべくMスポーツに移籍。マニュファクチャラー登録ながら純プライベーターとして戦う小規模チームを鼓舞し、翌年はフォードの支援も取り付けて2年連続のシリーズチャンピオンを獲得してみせる。これにより、オジェ自身も6年連続タイトルの偉業を成し遂げた。
2019年は約8年ぶりに古巣シトロエンに復帰するも、ここでTOYOTA GAZOO Racing WRTのオット・タナクにドライバーズチャンピオンを奪われ、最終戦後の11月にはトヨタへの移籍を表明。ここから『トヨタ・ヤリスWRC』の熟成にも協力したオジェは、2年連続でエルフィン・エバンスとの最終戦決着を制し、自身のタイトル獲得数を『8』に伸ばすこととなった。
今季2022年もTGR WRTに在籍するものの、家族との時間を優先するため3台目のワークスカーをエサペッカ・ラッピと共有する。そのオジエが、チームの育成方針に則して新たなコドライバーにヴァンサン・ランデを迎え、ラリージャパンへの参戦を果たす。「繊細なコントロールとブレーキングこそ、彼の強さ」と現チーム代表のラトバラが語るレジェンドの走りを、見逃すわけにはいかない。


