ル・マン/WEC ニュース

投稿日: 2024.10.31 07:45
更新日: 2024.10.31 10:33

【WECジェントルマン物語vol.2】「現在は無職です」。データで稼ぐ“ランプの魔人”(?)と証券GTドライバー


ル・マン/WEC | 【WECジェントルマン物語vol.2】「現在は無職です」。データで稼ぐ“ランプの魔人”(?)と証券GTドライバー

●アハマド・アル・ハーティ
#46 チームWRT/BMW

 チームメイトのラーンと同様、今年はWRTに移籍してBMW M4の46号車をドライブしているジェントルマンがアハマド・アル・ハーティ。カーナンバーから分かるように、今年はあのバレンティーノ・ロッシがチームメイトだ。もうひとりのチームメイトは、ドイツ系ワークスチームでずっと活躍してきたマキシム・マルタン。人気、実力を兼ね備えたチームで、先月の富士では表彰台に上がっている。

 アル・ハーティは、43歳のオマーン人。オマーンで初めてのレーシングドライバーということで、競技ライセンスの番号はNo.1だ。近年、アブダビやサウジアラビアをはじめ、中東では多くの国でビッグレースが開催されているが、オマーンにはまだパーマネントコースがなく、あるのはカートコースだけだ。

 アル・ハーティは子ども頃からF1中継を見るのが好きで、7歳の時には母国のコースでカートに乗り始めた。そこからはかなりのブランクがあり、大人になってから初めて趣味としてレーシングカーに乗ったのは、2006年。最初は近郊のバーレーンで走っていた。

 その後はイギリスに移ってレースを続け、2013年から耐久レースに参戦を開始。昨年100周年記念大会となったル・マン24時間レースには、唯一のオマーン人として初参戦。母国に耐久レースの魅力を伝えるという役割も担っている。

 そんなアル・ハーティ家のファミリービジネスはオイルとガス。中東らしく、エネルギー関連だ。だがアハマド本人は、別のプロジェクトを担当しており、海洋ツーリズムの仕事をしている。本人曰く「ボートを使った旅」ということだが、そのボートってやっぱりスーパークルーザーとか? フェラーリのトーマス・フローが持つビスタ・ジェット(vol.1参照)と協力すれば、世界の隅々まで行けそうだ。

【WECジェントルマン物語vol.2】
アハマド・アル・ハーティ(46号車BMW M4 LMGT3)

●クラウディオ・スキアボーニ
#60 アイアン・リンクス/ランボルギーニ

 今年、GTクラスではランボルギーニ・ウラカンを走らせているアイアン・リンクス。同チームは、数年前にプレマを買収。今年からはハイパーカーでもランボルギーニを走らせている。そのオーナーのひとりとしても知られているのが、GTクラスでジェントルマンドライバーを務めているクラウディオ・スキアボーニ。現在64歳のイタリア人だ。

 スキアボーニはボローニャ出身。農家の子どもとして生まれたが、それこそランボルギーニの本社があるサンタ・アガタやフェラーリのあるモデナのお膝元で育ったということで、小さい頃からクルマ好きだった。

 また、早い段階で“なぜだか”興味を持ったのが金融だったという。そして、大学には行かずに、金融の世界に飛び込み、つねに証券取引所に身を置いていた。そのなかで、シティバンクやJPモルガン、ドイツ銀行などを経て、投資家として独立した(今では伝統的な投資以外にも、アートやワインなど、さまざまな投資を行っているという)。

 仕事に邁進するなか、同じ金融の世界で働いていたフランス人のデボラ・メイヤーと出会い、結婚する。デボラは、今年の春までFIAのウィメン・イン・モータースポーツ代表を務めていた人物でもあり、アイアン・デイムスプロジェクトの生みの親だ。

 そのデボラも大のクルマ好きということで、夫婦揃ってフェラーリのレーシングスクールを体験したそう。そして8年前にフェラーリ・チャレンジでレース出場を開始すると、ブランパンシリーズやミシュラン・ル・マンカップなどを経て、2021年からWECに参戦している。キャリア8年目ということで、まだまだレースに関しては学習している途中なんだとか。

【WECジェントルマン物語vol.2】
クラウディオ・スキアボーニ(60号車ランボルギーニ・ウラカンLMGT3エボ2) 2024年WEC第7戦富士

●サラ・ボビー
#85 アイアン・デイムス/ランボルギーニ

 世界でも珍しい女性ドライバートリオでレースを戦っているのが、アイアン・デイムス。そのなかでブロンズ・ドライバーとして走っているのが、35歳のベルギー人、サラ・ボビーだ。その速さには定評があり、2年前のモンツァではWECでクラスPPを獲得した初の女性ドライバーとなっている。以前は、最強ブロンズドライバーとの呼び声も名高いベン・キーティングらとつねに争っており、その速さは印象深い。

 ボビーは、13歳の時にレーシングカートを初体験し、これをきっかけに自動車レースの道を目指すことになる。最初に出場したのは、ベルギーのフォーミュラ・ルノー1.6。その後、元F1ドライバーのティエリー・ブーツェンとその妹夫婦が運営していたブーツェン・ジニオン・レーシングとの協力関係を築き、GTやツーリングカーレースに参戦を果たしたが、なかなかフルシーズンを戦うだけの資金は得られなかった。

 25歳の時には、資金不足からシートを喪失。大学に通い、マーケティングの学士課程を受講している。私生活では、それを元に就職した時期もあった。それでもレースを諦めきれず、ルノー・スポール・トロフィーで現役復帰。これをきっかけにさまざまなカテゴリーのレースにスポット参戦するが、なかなか大きなチャンスには恵まれなかった。

 そこに訪れたニュースがアイアン・デイムスの立ち上げ。ボビーは、自らメールを送って連絡を取り、3年前からメンバーとしてプロジェクトに加入した。今では、念願だったレース中心の生活を送っている。その一方でマーケティングの知識を活かして、アイアン・デイムス入りする前には自身の会社も起業。今でもイベント関連やSNSなど、レース関連の仕事をしているという。

【WECジェントルマン物語vol.2】
サラ・ボビー(85号車ランボルギーニ・ウラカンLMGT3エボ2)


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