更新日: 2017.06.14 14:39
ポルシェワークスドライバーが語るそれぞれのル・マン。「泣く場所を探していた」
2017年6月12日
プレスリリース
ポルシェLMP1のワークスドライバーが語る
ル・マン24時間にまつわるそれぞれの洞察
ドイツ.ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト 社長:オリバー・ブルーメ)のLMP1チームのワークスドライバー6名は世界最大級の自動車レースであるル・マン24時間に、のべ37回のエントリーを数え、5回は総合優勝を飾ってきました。
しかし、きたる6月17~18日に開催されるこの過酷な耐久レースの考察で心に浮かぶのは栄光の瞬間だけではありません。
ドライバーたちは、嵐の前の静けさの中、伝統ある耐久レースとの関係について個人的な見解を述べています。現世界チャンピオンのニール・ジャニ(スイス)は、アンドレ・ロッテラー(ドイツ)およびニック・タンディ(イギリス)とポルシェ919ハイブリッド1号車をシェアし、アール・バンバー(ニュージーランド)/ティモ・ベルンハルト(ドイツ)/ブレンドン・ハートレー(ニュージーランド)組は2号車のステアリングを握ります。
アール・バンバー:ピットレーンのゾンビ
「2015年のル・マンは、スタートからあわただしさが続きました。きっかけは、ポルシェワークスドライバーとなった、2014年のクリスマス直前における919ハイブリッドのテストです」
「ポルシェ スーパーカップとカレラカップ出身のドライバーにとって、LMP1ハイブリッドの運転は思いも寄らないチャンスでした。このような機会を得ることは想像もしていなかったし、ポルシェが私を信頼してくれたことにも恐縮してしまいました」
「ヴァイザッハで初めてシミュレーターをテストする前、レースエンジニアのカイル・ウィルソン=クラークは、ハイブリッドスポーツプロトタイプの運転についてどの程度の経験があるかと尋ねました」
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「私は、『まったく経験はありません。ステアリングホイールに2つのスイッチがある911 GT3 Cupの運転には慣れていますよ』と答えました。テストはうまくいき、その帰宅途中にポルシェから電話がありました。『スケジュールを空けておいてください。6月のル・マンへの出場が決まりました』と告げられました。その瞬間、握っていたペンが滑り落ちました」
「2015年のル・マンにおいて、我々の919ハイブリッドは練習走行と予選で見事な速さを見せました。ニコ・ヒュルケンベルク、ニック・タンディ、そして私の全員は、クラッシュを避けて慎重に運転すれば表彰台に登ることが可能であるという意見で一致しました」
「我々はラップを数え、緊張をほぐし、ポジションを気にしすぎないようにしました。そして日曜日の早朝には首位に立ちました。レース前、我々のマシンに特別注目している人はいませんでしたが、このときからプレッシャーを感じ始めました」
「世界最大級のレースで優勝できるとは3人とも考えていませんでした。ニコがチェッカーフラッグを受けたときは狂乱状態に陥りました。私はゾンビのようにピットレーンの外側を歩き、起こったことが理解できず、何をしてどこに行けばよいのか分かりませんでした」
「昨年、ル・マンのパドックに戻ったとき、あの特別な瞬間が蘇りました。私がニュージーランドでカートを始めたのは1998年です。ニコ、ニックとル・マンで優勝を飾ったのは、その1998年にポルシェがル・マンを制して以来のことです」
ティモ・ベルンハルト:アレックスから聞いたこと
「ジュニアチームでポルシェのキャリアを始めてからこれまで、アレックス・ウィゲンハウザーが私のメカニックを担当しています。彼はつねにル・マンのことを考えていて、911 GT1と1998年のポルシェの総合優勝について話してくれましたが、それがどのようなことか、想像もつきませんでした」
「GTクラスで初めてル・マンを走った時、ル・マン神話の意味が徐々に分かり始めました。その時はクラス優勝をしましたが、総合優勝者はヒーローでした」
「それまでは想像もしなかったことですが、大観衆を前に総合チャンピオンとして巨大なバルコニーに立つことが目標となりました。2009年から2012年まで、ロマン・デュマと私はアウディをドライブし、2010年にバルコニーに立つ夢が実現しました」
「その年は最初と最後のスティントを運転する好機を得ました。最も感動的な区間でした。ル・マンでスタートを切ったのはこれが初めてだったので、その前の何時間にもわたって激しい緊張が続きました」
「フォーメーションラップではアドレナリンがほとばしり、最終ラップではマーシャルがサーキットに立ってフラッグを振っていたのを覚えています。我々は集団でゴールしました。このときの感覚を生涯忘れることはないでしょう」
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「最後の数分は非常に個人的な時間でした。映画を見ているようにあらゆることが蘇りました。子供時代の夢、両親の支援、過酷な仕事、満足を感じました」
「表彰台に登ったときは、何千人ものファンを見ながら非現実的な感覚を味わいました。横に立っていたトム・クリステンセンが私に尋ねました。『どうしたの。幸せじゃないの?』あらゆることにただ圧倒されていました」
「今は亡き心優しいジャーナリストのグスタフ・ビュージングは言いました。『君はル・マンの覇者だ。これは永遠に消えない事実だ』。私は感動しました」
「どんなに優秀なレーシングドライバーでも、このレースで確実に優勝できるわけではありません。規模、耐久性、ドラマ。ル・マンは計画が成り立たないところです。とても感謝しています」
「アラン・マクニッシュはかつて『当時はあらゆる衝撃が大きすぎて最初のル・マン優勝を心から喜ぶことができなかった。2回目にようやく喜べるようになったよ』と述べていました。私がポルシェで経験したいのはまさにこの感動です!」