コラム ニュース

投稿日: 2020.05.13 18:58
更新日: 2020.06.20 20:52

2013年WEC富士、ビル熱で寒さをしのぎつつ見せたレポーターの意地【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】


コラム | 2013年WEC富士、ビル熱で寒さをしのぎつつ見せたレポーターの意地【日本のレース通サム・コリンズの忘れられない1戦】

 レースがリスタートされると、ありがたいことに雨はやんだが、すぐに強雨に見舞われることも分かっていた。さらに悪いことにもうひとつの問題が私たちを待ち受けていた。1コーナーに濃い霧が広がっていたのだ。この霧とマシンが巻き上げる水しぶきが合わさって、視界が完全に奪われてしまった。

 すると突如、ラップリーダーだった1号車アウディR18 e-tronクアトロが突然ピットに戻ってきた。幸い、私はその作業を目にすることができ、それがルーティンではなくイレギュラーなものであることを確認できた。アウディのスタッフたちはエアリストリクター周辺をしきりにチェックしていたのだ。

 その後、チームはピットレーン上でマシンのリヤカウルを取り外して作業を始めた。アウディ陣営のこんな光景はめったに目にすることはない。私はリポーターとして、彼らの作業を事細かに説明した。

 すると、メカニックたちはマシンのエアリストリクターハウジングとエアリストリクターを取り外すと、ボディワークを元に戻して、マシンをコースへ送り出した。あの時、アウディR18はセーフティカーの後ろを走っていたが、そのマシンは完全にレギュレーション違反の状態だったはずなのだ。

 厳格に判断が下されれば、彼らは即座に失格となる状態だったが、FIAのレースオフィシャルはこの状況を無視すると決めたようだった。1周後、アウディR18はピットに戻ると、新品のエアリストリクターとハウジングを装着してコースに戻った。この一件はアウディR18が史上唯一、競技中に“節度”を守らなかったケースだったはずだ。

 22分間に渡るセーフティカーランのあとふたたび強い雨が降り出し、レースは再度赤旗に。この時点で14時にもなっていなかったが、レースディレクターは、何があろうとも17時でレースを終了させると発表した。

 幸か不幸か、私が逃し続けたロマンスカーには間に合う計算だ。そして、この時点で私はロマンスカーに乗ることを心から望んでいた。すでに私はずぶ濡れで寒さにも凍えていたが、また多くのドライバーやチームへ対し、正式にはまだスタートを迎えていないレースについてインタビューしなければならかった。この時点で私の両手足は寒さで感覚を失いつつあった。

 ちなみに私が抱えていた“魔法の杖”、コメンタリーボックスとやり取りする無線機が付いた長い棒にはひとつ問題があった。それはピットガレージ内では動作してくれないということ。仕事をするには屋根のないピットレーンに出なければならず、私は雨宿りすることさえ許されなかった。

 そんな状況のなか、あるチームから一杯の緑茶を振る舞ってもらえたことを今でも覚えている。個人的に緑茶が好きだということに加え、手を暖めることができたから、とてもうれしかった。

2013年WEC第6戦富士表彰台
2013年WEC第6戦富士表彰台

 永遠に続くとも思える赤旗中断のあと、ようやく15時35分にセーフティカー先導でレースは再開。しかし、それから半周もしないうちに三度赤旗が出ると、そのままレースは終了を迎えた。セーフティカーのもと、合計で16周しかしなかった3時間を経て、レースは終わりをむかえ、7号車トヨタが優勝を手にした。

 私は表彰台に向かうアレクサンダー・ブルツをつかまえてインタビューをした。ブルツはこの状況にあまり満足していなかったが、勝利は勝利として受け入れた。

 これでようやく私は仕事から解放され、ずぶ濡れの状態でメディセンターへと戻った。最悪にも、私は着替えを用意していなかったので、このままの状態で御殿場駅に向かう羽目になった。だが少なくともロマンスカーには乗ることができた。

 駅に向かう道中で、なんとか座席を濡らさない程度には状態もマシになっていた。この日ようやく乗ることができたロマンスカーの車内は暖かく、シートも快適だった。

 車内では偶然、ドライバーのトール・グレイブスと顔を合わせ、彼には六本木でのパーティに誘われたが、私は参加を固辞した。招待を受け入れるにはあまりにも疲れていたし、マシになったとは言え、濡れ鼠のままだったからだ。あの時は、車内で飲むヱビスビールと、新宿で食べる温かいラーメンだけが、私の希望だった。

 寒さと雨という天気に翻弄されたレースだったが、個人的には楽しむことができたと思う。今も多くの人々があのレースとコメンタリーについて話題にしてくれるので、あの状況下でも仕事をまっとうしたことが報われていると感じている。

 ちなみに、2013年のWEC富士は、2012年のシリーズ発足から現在に至るまで、参戦全車がレースを完走できた3戦のうちのひとつだ。

 また富士でのセーフティカーは、WECのルール変更にも直接つながった。ポイントが付与されるには、グリーンフラッグのコンディション下で完全に2周走らなければならないというルールが生まれたのだ。結局、2013年WEC富士はハーフポイントが与えられることで決着した。

2014年のル・マン24時間を戦ったニッサンZEOD RC
2014年のル・マン24時間を戦ったニッサンZEOD RC

 またレースウイーク初日に厳しい船出を迎えたニッサンのZEODプロジェクトは、その後難航した。彼らが目標としていた2014年ル・マン24時間では苦戦を強いられ、周回数はわずか5周。誰もその時は分かっていなかったが、これは2015年に起きたことの“予兆”でもあった。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。


関連のニュース

本日のレースクイーン

Pacific JLOC Angels
オヤンヘ(おやんへ)

コラム Photo Ranking

フォトランキング