プロダクションクルーやメカニック、エンジニアと同様に私の仕事も終わった。我々はたくさんビールを飲んで、この24時間をふり返った。誰が言ったのか思い出せないのだが「これはパーティであるべきだったのに、まるで葬式のように感じる」とその雰囲気を評した。
チーフデザイナーを務めたベン・ボウルビーは失意のなかにあるように見えた。私は彼のところへ行って一緒にビールを飲みつつ、「レースは災難だったが、マシンのコンセプトは証明された」と伝えた。
なぜなら、ティンクネルが出したレース中のベストラップは、どのLMP2マシンよりも速かったのだ。レースを戦ったGT-R LMニスモはハイブリットシステムが機能しておらず、四輪駆動ではなく前輪駆動で、車重もLMP2マシンよりも重く、かつパワーも小さかったのに、それでもLMP2より速さをみせたのだ。
今日に至るまで、私がビールを飲みながらボウルビーと交わした言葉は正しかったと信じている。彼のアイデアは優れたもので、マシンが適切に製造されていれば、素晴らしいパフォーマンスを発揮しただろう。
このル・マン24時間を終えたあと、ニッサンは問題が解決されるまでGT-R LMニスモでのレース参戦を見合わせると決定した。改良された2016年仕様のマシンは、フライホイール式ではなく、バッテリー式のハイブリットシステムを搭載して製造とテストが行われた。
しかし、このハイブリットシステムと改良されたリヤのインパクト構造に問題が発生し、プロジェクトは中止された。
GT-R LMニスモのプロジェクトは、今では決まりの悪い失敗例と捉えられているが、ニッサンはGT-R LMニスモを誇りに思うべきだと私は考えている。コース上では成功しなかったが、マシンには革新的なアイデアが詰まっており、自動車産業ではほとんど見られないタイプの勇気を示したのだから。
もしプロジェクトが続いて、マシンの改良が的確になされていたら、2016年にニッサンはル・マン24時間で十分な結果を残しただろうし、歴史はより丁寧に彼らを扱っただろうと私は確信している。

その年のル・マンの後、レースに出ることがなかったもう一台のマシンは童夢S103だ。レース後、ストラッカ・レーシングは、ザイテック製シャシーへ乗り換えたのだ。ストラッカは童夢のシャシーをベースに新たなLMP1マシンを作ると発表したが、そのプロジェクトが結実することはなかった。
童夢S102とS103は本当の実力を決して見せることができなかったが、あのデザインは本当に優れていると思っている。いつか童夢がふたたびル・マンに戻ってくることを、私は心待ちにしている。

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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。