更新日: 2020.10.01 08:50
ル・マンで世界にその名を知らしめた山下健太「スーパーGTでやってきたことが役に立った」
そして迎えた土曜日の決勝。スタートドライバーを任されるも「全然緊張しなかったです」と、リラックスモードだった。しかし、スタートでは2台に抜かれ、6番手に順位を落した。
「フォーメーションラップ中に水温がだいぶ上がってしまい、エンジンがセーブモードに入りリミッターが手前で入るようになって。出だしはけっこう決まった! と思ったんですけど、そのあと全然加速せず『おーい最悪だぁ』と。1コーナーまでに2台くらい前に行かれてしまいました」
そこからがヤマケン劇場の開演だった。彼の周囲はLMP2の優勝候補だらけ。前を走るはジャン・エリック・ベルニュやウィル・スティーブンスなど、元F1ドライバーたち。だがヤマケンは一歩も引かず果敢に攻め続けた。
「抜かれたままだとダサいし、どうにか抜き返さないといけないなと。まずクルマを冷やそうと、直線ではずっと空気が当たるように走りました。後ろに迫られていましたが何とか抑え、コース中盤くらいでようやく普通の状態に戻り、そこから自分のペースで走り始めました」
第1スティントで4番手まで順位を上げ、第2スティントではピットインのタイミングもあり2番手に浮上。GTEの間をすり抜けながら、前を行く元アウディLMP1ドライバーのフェリペ・アルバカーキを追った。それが冒頭のシーンである。
「なんかスーパーGTっぽかったですよね。GT500ほどではないけど、LMP2も真後ろにはつけなくて単独だと抜きづらい。だからGT300……じゃなくて(笑)、GTEをうまく使って抜く感じで、ずっと間合いを考えながら走っていました。スーパーGTでやってきたことが、だいぶ役に立ちましたね」
見ているほうはハラハラするような駆け引きだったが、ヤマケンはいたって冷静だったという。
「長いレースなので、最初の2時間で少しでも当たって壊したら、残りの22時間がもったいない。だから絶対に当てないように、行ける時は行く感じでした。あれでもかなりマージンをとっていたんです。GT最終戦の時みたいに『何がなんでも行く』感じではなかったですね(笑)。危ないシーンは全然なかったし、タイヤマネージメントもうまくできていたと思います」
3スティントを終えて順位は3番手。ルーキーらしからぬ安定した走りで、68才のチームメイトにバトンを渡した。
「直線が多く休める区間が多いので疲れは少なく、4スティントも行けるかなと。夜に5スティント走る話もありましたが、それでも大丈夫だったと思います」
しかし、その後マシンはギヤボックスのトラブルでピットに留まり、インアウトを繰り返すもリタイアを余儀なくされた。
「頑張って直そうとしていたので残念でした。僕も、できれば夜のスティントをちゃんと走りたかった。それでもLMP2では過去最高に楽しめましたし、24時間のル・マンで勝つと気持ちいいんだろうなぁ、いつか勝ってみたいなぁと実際に出てみて思いましたね」
初出場ながらヤマケンは見せ場を存分に作り、その存在を世界中のレースファンの記憶にしっかりと刻んだ。そして、恐らくトヨタWECチーム首脳陣の記憶にも。彼が、ハイパーカーのステアリングを握る日は、それほど遠くないだろう。