更新日: 2020.10.01 15:48
「過去一番疲れた」と中嶋一貴。超過密日程のル・マン“4日間”、トヨタ同門対決の舞台裏
史上初、無観客のトラックでいつもより静かにスタートしたル・マン24時間は、7号車のペースで進んだ。8号車は序盤からブレーキに不具合を抱え、思うようにスピードが上がらないだけでなく、パンクにも見舞われた。
「朝のウォームアップのセッションを終えてピットインした際に、クーリングのタイミングが遅れてキャリパーの温度が上がりすぎ、キャリパーを交換してるんですよ。どうやらその時ドラムの中のクーリング部分が燃えてしまっていたようです」と一貴。
その問題が表面化しないまま決勝に臨んだが、違和感を感じながらも前後の回生バランスを変えるなどして走り続けた。しかしペースはなかなか好転せず、SCが入った一貴のスティント中にブレーキパーツの交換を決行した。
「1ラップダウンだったので、正直そこから先は7号車のバックアップだと思いました。7号車に何かあったら、自分たちが最後までちゃんと走らないといけないと」と一貴。
ノンハイブリッド勢に対する優遇措置がさらに進んだ今年のル・マンは、例年以上にタイム差が少なく、TS050に圧倒的な余裕はなかった。何か大きな問題が発生すれば、勝利を失う可能性も充分ある。そして実際、冒頭のトラブルが7号車に起こってしまった。エキゾースト系の不具合である。
「あのとき僕は寝ていましたが、隣のリビングがうるさいなあと。『何かターボが……』という話し声が聞こえてきましたが、まだ起きる時間ではなかったので、そのまま寝ていました」
それほど一喜一憂しない、一貴らしいシーンである。
「またかいな、と思いましたね。レースはまだ半分くらいだったので、ここから先長いなあと。去年も一昨年も後ろが7号車だったので、僕らが消えても彼らが勝てた。だからチームはあまりストレスを感じていなかったと思います。でも、今年はすぐ後ろがレベリオンだったので『絶対にクルマを最後まで運べ』と無線で何度も伝えられ、チームのストレスが伝わってきました」
7号車は、フロアにダメージを負っていたこともあり、2位まで挽回するのも難しい状況だった。もし8号車が崩れたら、TS050最後のル・マンは敗北で終わる。「いつもより肩の荷が重く感じました」と、一貴は例年とは違う重圧を感じながら周回を重ね、そして3年連続優勝の偉業を達成した。
昨年、7号車の可夢偉が寸前で勝利を逃したとき、勝った一貴の顔に心からの喜びはなく、憐憫の情が見てとれた。しかし、今年ウイニングランを終え、8号車のチームメイトに迎えられた一貴は、爽やかな笑顔だった。
「去年は、あまりにも7号車に酷な状況だったので。今年もあまり変わらないのかもしれないですけど、起きたタイミングが早かったし、レース半ば以降僕らはちゃんとやるべきレースを戦い勝つことができたので、そういう意味では素直に喜べる勝利でした。去年とはだいぶ違いましたね。涙は全然なかった、普通です」
日本帰国後、一貴は快くオンライン取材に応じてくれたが、喜びと同じくらいの疲労がにじみ出ていた。
「レース後の疲れかたは、過去一番ですね。帰国後、昼も夜も寝続けています。だいぶ疲れています。それがスケジュールのせいか、年齢のせいなのかは分かりませんが、前者であって欲しいな」と、一貴は静かに笑った。
「正直、まだ頭の中はからっぽで、タイトルのことは何も考えられないし、状況も把握できていません」
過密スケジュールのなか、一貴は全力でTS050最後のル・マン24時間を戦い、三連覇という偉業を達成した。そして可夢偉もまた、結果こそ報われなかったがドライバーとしての仕事を全うし、手負いのTS050をポディウムに引き上げた。
過酷で濃密な4日間を戦い抜いた彼らは完全に燃え尽き、秋風吹くル・マンを後にした。