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「僕は彼にこう尋ねた。いつ引退するかというのを、どうやって知るのですか? 若いドライバーとして、まだやっていける。レーシングカーを運転したくないという状態になるなんて、想像もできないのですが、と」

「彼は僕に言ったんだ。『そう感じたときが、そのときだ』と」

「僕がそんなことを感じ始めたのが、トヨタにいた最後の年だったと思う。歳をとるほどに、人生はより複雑になるものだ。家族ができ、家でもっと多くの時間を過ごしたくなるものだ」

「すべての選択肢を検討し始め、人生にはレースよりももっと多くのものがあることに気付き始める。それは、これが単なるスポーツではないと認識することであり、となれば完全にもはや自分だけの世界ではない。当時は、そう感じ始めていた」

「それに加えて、トヨタにおけるキャリアの終わり頃には、詳しくは語れないことが他にもあって、このスポーツへの愛情が少し失われてきていた」

デビッドソンにとってトヨタ最終年となった2017年。2021年最終戦、奇しくもこのふたりが同じレースを最後に第一線から退くことに
デビッドソンにとってトヨタ最終年となった2017年。2021年最終戦、奇しくもこのふたりが同じレースを最後に第一線から退くことに

 LMP2への転向にあたって、デビッドソンは、3シーズンにわたるコドライバーであるロベルト・ゴンザレスと、ドラゴンスピードのチーム代表であるエルトン・ジュリアンを重要人物として挙げた。

「もう一度楽しんでレースをするために、(LMP2を)やってみるべきだと感じた」とデビッドソン。

「僕はLMP2についてあまり多くを知らなかったが、それが楽しく、僅差の戦いであることは分かっていた。僕はその一部になりたかったし、多くのアマドライバーがそうしているのと同じように、もう一度レースをすることを楽しんできた」

 デビッドソンはLMP2でのキャリアにおいて、2019年にドラゴンスピードでスパを、JOTAで上海のレースを制している。翌年にはユナイテッド・オートスポーツのフィル・ハンソンとのスリリングな最終スティントのバトルの末、ル・マン24時間レースで2位フィニッシュを果たしている。

「僕は最高の時間を過ごした。レースがもたらしてくれるすべてのものを、もう一度愛せるようになった」とデビッドソンは振り返る。

「そのチャンスを与えてくれたのは、ロベルトとエルトンだ。再びサーキットに戻るだけでなく、よりリラックスしていること。それでも、最高の状態でドライビングできたように感じた」

「富士ではドラゴンスピードでポールポジションを獲得し、ル・マンではJOTAで2位になった。自分のベストの状態でドライビングできたと実感したし、だからこれで終わらせたいと思った」

「歳を重ねるにつれて徐々にパフォーマンスが落ちているなかで、辞めたくはなかった。若いドライバーのラップタイムに割り込んでいけるとまだ分かっているうちに、引退したかったんだ」

「僕は自分自身に正直でなければならなかった。トヨタ(を降りて)から3年が経った。正直言って、以前には想像もしなかった3年だ。僕はいま、僕が終わらせたかった形で幕を引くことができる」

最終レースとなる2021年WEC最終戦バーレーン、FP2のコースインを待つデビッドソンに対し、トヨタのスタッフから粋なメッセージが
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