更新日: 2021.11.13 12:58
マツダ、週末のプチ・ル・マンがIMSA最終レース「DPiに別れを告げるのは難しい」とボマリート
マツダのDPiプログラムは当初、RT24-Pの先代にあたるスカイアクティブ・ディーゼルエンジンを搭載したローラ・マツダを走らせていたスピードソース社によって運営されていた。
迎えた新規定デビューイヤー、この年に競争力がなかったマツダは、ル・マン24時間で輝かしい成績を残してきたヨースト・レーシングと複数年契約を締結。名門エンジニアリング集団とともにファクトリープログラムを運営することで、キャデラックチームや、ニッサンDPiで参戦したエクストリーム・スピード・モータースポーツ(ESM)、アキュラ・チーム・ペンスキーなどのライバルたちに近づいていった。
2年間の提携の間にマツダ・チームヨーストは2019年、ワトキンス・グレンで達成したDPi初優勝を含む3勝をマークしている。そんな成功したパートナーシップは2020年1月のデイトナ24時間を最後に打ち切られ、以降はカナダのマルチマチック社が、同チームのレース運営と車両開発を引き継ぎ、今日までマツダの活動を支えてきた。
「ヨーストのプログラムから(マルチマチック主体のマツダ・モータースポーツ)に移ってきたスタッフが何人かいるので、数年前からこのプログラムに携わっている人もいる」とボマリートは説明した。
「印象に残っているレースとしては初優勝、2019年のワトキンス・グレンと、モスポート・パーク(CTMP:カナディアン・タイヤ・モータースポーツ・パーク)でのワン・ツー・フィニッシュが挙げられる」
「セブリング12時間レースでの優勝も、僕にとって非常に特別なものだった。今年そこに戻ってフロントストレートに掲げられたバナー(優勝チームとマシン名が西暦とともに書かれたプレート)を見て、そのような歴史の一部になれたことをとても特別に感じた」
マルチマチックのエグゼクティブ・バイスプレジデントであるラリー・ホルト氏は、DPiカテゴリーにおけるマツダとのひとときを振り返り、プログラムの存続期間中に数多くの課題が提示されたにもかかわらず、全体的満足のいくものだったと語った。
マツダRT24-Pは当初、ペースが良い場合でもロレックス24(デイトナ24時間)のようなメジャーレースでは信頼性を欠くことが多かった。しかし、プロジェクトの後半になると主要な耐久レースでのパフォーマンスが徐々に向上していった。
「それは私やレースチームにとっても、パートナーにとっても、そしてこのクルマを作ったエンジニアリング組織にとっても少し感情的な時間だ」とホルト氏。
「マツダRT24-Pが怒りのままに(トラックに)解き放たれるのはこれが最後であり、レースで勝つためのプログラムにするために何年もかけて開発し、ハードに努力してきたことが終わりを迎える」
「このプログラムに参加したすべての人は、少なからずこのゲームに関わっている。私たちがしばしば提示された逆境を克服することは、いつも信じられないほど挑戦的だったが、同時に驚くほどの満足感を得ることができたんだ」