司会の進行のもと、まずは佐藤プレジデントが挨拶に立った。
「我々がWECをやる目的は“勝つ”ということだけではありません。もちろん勝ちに行きますが、その先に、我々がWECに関わることで新しいモータースポーツの未来を切り開いていくというところまでを視野に入れて、今年のル・マンに臨みたい」
その後も東富士研究所所長を筆頭に、設計担当、ベンチ評価担当、組み付け担当などそれぞれのセクションの代表者が、全員の前で挨拶をする。ドイツ側からも、画面越しのスピーチがなされた。
自身の仕事への情熱と周囲への感謝、そして何よりもレースに勝ちたいという熱が感じられるスピーチが、ときにユーモアも交えながら行われていき、会場のボルテージが上がっていくのを肌で感じる。

なかでも印象に残ったのは、エンジン評価担当のYさんのスピーチだった。
Yさんはこの日から、ル・マンに向けて出荷する4台のエンジンの搬出試験を行うという。組み上がったエンジンを回してみて各部をチェックし送り出す、いわば最終チェックを行って『GO』を出す立場だ。
いよいよエンジンを搬出するという高揚と同時に、大きな緊張を感じていると、Yさんは赤裸々な感情を口にする。
「自分が搬出試験をしたエンジンに、何かがあったら怖いです」
「丁寧に、丁寧に、試験をやりたい。少しでも、(現場が)思い切りレースできるように」
この“怖い”という単語に、のちにスピーチに立った可夢偉がリアクションした。
「僕らも、同じ気持ちです。正直、緊張感との戦いです」
「去年、チェッカードライバーになって、(燃料系トラブルにより)エクストラ(追加)の操作が必要な状態でした。正直、人生で一番緊張したレースでした。特殊な操作が必要ということ以上に、これだけの人の思いが詰まったものをゴールまで導けるか、という緊張がありました。みんなでこの緊張を経験し、勝ちにいきましょう」

最後に挨拶に立ったのは、昨シーズン限りでドライバーを退いた一貴TGR-E副会長。そのスピーチの前には、開発スタッフ側の粋な計らいで、これまでWECの最前線で戦い、ル・マン3連勝をマークした一貴副会長に、記念品が送られた。
この記念品が“開発スタッフならでは”の逸品だった。2012年、一貴副会長が初めてル・マンに出場したTS030のピストン&コンロッドと、最後のル・マン出場となったGR010のピストン&コンロッド(もちろん、対外的には一切公開されていない)がオブジェのようにプレートの上に立っている。
それだけではなく、「2年ごとにトピックがある」と、2012年、2014年(日本人初PP)、2016年(3分前の悲劇)、2018年(初優勝)の4台のマシンと、三連覇したパワートレーンのミニチュアセットも贈呈された。その土台となるカーボンプレートはスーパーフォーミュラのエンジン部材だという。また、2012年のTS030が開発車仕様の赤いカラーリングだったのも、現在のWECプロジェクトの原点を感じさせる、粋な演出と言える。
「なんだか、本来の会の趣旨とは違ってきましたが……(笑)」と困惑しながらスピーチを始めた一貴副会長は、次のように締め括った。
「何か起こるか分からないのがル・マンですが、何が起きたとしても挑戦し続けてこられたから、いまの結果があります」
「ライバルが増える来年に向けて、まだまだ結果を出していかないといけません。皆さん、引き続きよろしくお願いします」
最後に、出荷するコンポーネントと全員で記念写真を撮影し、豊田章男社長へのメッセージを可夢偉が代表して伝える動画を撮影、出荷式はお開きとなった。ここまで約1時間。開発に携わった人々の、ル・マンにかける“熱”が印象的だった。