更新日: 2019.02.13 12:07
【GT500引退】本山哲インタビュー「勝つことの義務は苦しかった。今はレースが楽しいし、来年の復帰もGT300参戦も可能性はある」
──フォーミュラ・ニッポン全盛時代より体力が落ちていたとしてもスーパーGTでは問題ないと。
スーパーフォーミュラのドライバーに聞けば分かるけど、片手で運転できるレベルだよ。
──となると、来年GT500か、GT300に乗っている可能性もある?
走りたい気持ちはもちろんある。
──GT300というのは本山さんとしてアリですか?
ありだね。そこにこだわりはない。
──ひとまずGT500を降りて、ここまでの23年間で一番達成感があったのはいつですか? 3回タイトルを獲ったそのいずれかですか?
1999年も獲っているから実質4回なんだけど、エリック(コマス)にだまされた(笑)。(※編集部注:ル・マン24時間予備予選出場のためバッティングしたGT第2戦を休場)難しいなあ……。でもやはり2008年かな。GT‐R復活でデビューウインとチャンピオンが至上命題と言われて、それをきちんと達成できたというのはドライバーとして満足できるものではあったし、チームメイトのブノワ(トレルイエ)とともに走れたのはすごくよかった。とくにブノワとは日本に来てから、ずっとフォーミュラでチームメイトで、もともと才能ある速いドライバーではあったけど、半分くらいは教育したところもあったと思う。ブノワがあそこで一人前のドライバーになって、一緒にチャンピオンを獲れて、そのあと海外で認められて、海外の一線級のところに行ってもきちんと走っている。
──それまでのトレルイエ選手は速くても飛び出す、レースをまとめられない印象でした。
そうだね。チームメイトになったときもいくらやっても俺に勝てなかった。俺が速くて安定しているからね。俺がいたからチャレンジして向上しただろうし。速さとしてはあったから、好きにやらせておいて、「タイヤがダメになったらピット入ってきて。代わるから」というノリでレースをやっていた。それが最後のほうはタイヤマネジメントまでできるようになった。大したもんだなと思ったよ。
──その2008年にパルクフェルメで本山さんが泣くシーンを何度も見た気がします。それだけプレッシャーがあったということですか?
開幕2連勝してウエイトハンデと別にGT‐Rが速すぎるというのでウエイトを積まれて、3戦目の富士は195㎏だった。そのときは予選で14番手のクルマの2秒落ち。苦しい時期を過ごしてとにかく勝つのが大変だった。勝つためにはドライバーだけでなく、いっぱいいるスタッフ全員が頑張らないとレースには勝てない。カートだったらメカニックひとりとドライバーひとりが頑張ればいいけど、スーパーGTだとそうはいかない。
──チームスタッフにも厳しい要求をすれば、ドライバーとして結果を求める自分へのプレッシャーも大きくなるということですか?
まあそうだね。自分のなかで勝つことが基準。チャンピオンも別に気にしてなかったし、2位で悪くなかったというのは自分の感覚のなかではなかった。1位だけで、2位になったら負け。古いタイプかもしれないし、スーパーGTはウエイトハンデとかいろいろな要素があるから、続けるのは難しいんだけどね……。
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もう一度、プレッシャーのかかる「楽しくないつらい状況」で勝負してケジメをつけたかったというのが本山の本音だろう。その姿を見届けたかったファンも少なくないはずだ。自動車という複雑な道具を使うモータースポーツにおける、巡りあわせの難しさを感じずにはいられない。それでも、ひとまず今年のスーパーGTにおいて、GT‐R復活にどのように本山が貢献していくのか注目していきたい。
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