ピットで私を温かく出迎えてくれた東京アールアンドデーの小野昌朗さんと、彼のこれまでのキャリアやヴィーマックRD408Rのデザイン、そしてスーパーGTというシリーズについて話をした。
そのあとピットレーンに沿って歩き、多くのマシンを目にすることになった。初めて目にしたGT500マシンには感動したが、特にホンダNSX-GTは強烈だった。ルーフ上に吸気口があることで、NSX-GTはF1マシンとLMPマシンの中間にあるマシンに思えた。

ホンダ以外の陣営はレクサスSC430とニッサン・フェアレディZをベースにしたマシンで戦っていたし、トヨタ・スープラも数台(ECLIPSE ADVANスープラとtriple a サード スープラGT)もあった。


これを見て、私はGT500マシンに夢中になった。エンジニアリングは美しく、デザインはさまざま。まるで学生時代に遊んだプレイステーションの世界に飛び込んだような気分だった。

プラクティス(練習走行)前にピット内でマシンを間近に見ると、コクピット内が整然としていること、リヤビューカメラをはじめとする多くの素晴らしい機能が備わっていることも知ることができた。
そしてGT300マシンにも驚かされた。参戦している車種がバラエティに富んでいたのだ。ポルシェやランボルギーニなど、なじみ深いマシンもあったが、残りはまったく見たこともないマシンばかりだった。
当時はGT300にもホンダNSXが参戦していたので、GT500マシンと比較するのは面白そうだと思ったが、数多くあるGT300マシンのなかで私はある2台のマシンに目を奪われた。
1台はDHG Racingが走らせていたDHG ADVAN FORD GTだ。当時、世界のモータースポーツを見渡しても、フォードGTが本格的にレースを戦ったことはほとんどなかった。だからこそ、この車両はワイルドに見えた。

外観こそ市販のフォードGTと同じように見えたが、内部は完全にリビルトされており、エンジンは無限がF3000やフォーミュラ・ニッポン(現在のスーパーフォーミュラ)用に製作していた無限MF308がベースの3.5リッター仕様『DHG D35806V』を搭載していた。これは当時のGT300に関するレギュレーションがどれだけ柔軟だったかをあらわすものだ。

私の注意をひいたもう1台は、ベルノ東海ドリーム28が走らせていたPrivée Zurich・アップル・紫電だ。このマシンはデイトナ・プロトの外観をはるかに良くしたものに見え、マシンを近くで観察するとより一層、その素晴らしさを感じることができた。
マシンを企画開発したムーンクラフトは、ライリー・テクノロジーズ社のデイトナ・プロト『ライリーMk.XI』をベースに紫電を開発していた。当時のデイトナ24時間を戦っていたライリーMk.XIはお世辞にも美しいとは言い難い外観のマシンだったが、このムーンクラフト紫電は心を奪われるほどの美しさを持っていた。
その外観に惚れた私は、紫電の写真を何枚も撮影し、イギリスに帰ってから多くの人たちに写真を見せながら「デイトナ・プロトは美しくてもいい」ことが証明されたとアピールしたほどだ。
ただ、なぜ紫電がGT300クラスへの参加を許されていたのか、当時の私は少し疑問を覚えた。ほかのGT300マシンは少なくとも部分的に市販車ベースだったのに対し、この紫電は市販車ベースではなかったのだから当然だろう。
結局、当時の私にはその理由は分からずじまいだったが、紫電のGT300参戦が許されていることをうれしく思った。紫電の存在が認められていたことで、GT300というクラスは私がそれまで目にしてきたすべてのカテゴリーとまったく違う存在になっていのだ。
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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。