王道作戦との“4秒差”に敗北も『もてぎリベンジ』一部成功/労働時間“半減”への30年【トムス東條のB型マインド】
さて、もてぎの話はこれくらいにして、今回はエンジニアの仕事の『今昔』について、少し書きたいと思います。
私がレースエンジニアとなったのは、バブル崩壊が人知れず進んでいた1992年ですから、30年程前になります。トムスではGr.C、F3、Gr.Aの3カテゴリーに参戦しており、私はGr.Aを担当することになりました。
前職のトヨタディーラーでは、PCによる純正部品の発注や売り上げの管理システムがあり、PC操作には比較的慣れておりました。個人用としては、亜久里さんのダイナブックが目新しく、特に使用目的もなく手に入れています。
フロッピーディスクを入れてMS-DOSを立ち上げ、一太郎やロータス1-2-3だったか、MS-WORKSだったのか、主にワープロとしての用途でしたが、技術レポートは手書きでした。インターネットの普及はなく、20MBのハードディスクに驚愕していた時代でしたから、MACやPC9801を持っている事で満足しているような、そんな時代でした。
エンジニアにとっての三種の神器とも言えるデータロガーは、Gr.CやF3000等トップカテゴリで、ようやく使い始められてきた頃だと思われます。日本ではエンジン部門の方が、この分野では先輩でした。トムスのGr.Aでも、例外なくエンジンの燃調マッピング専用でした。
シャーシ用としては数チャンネルを間借りしている程度。データ比較に便利な距離軸での表示機能はありません。1データ毎にプリントアウトし、それを2枚重ねて天井の蛍光灯にかざす、“光学式”を用いてデータ比較をしていました。3枚では透過に無理があり、感熱紙では光学式が使えず、リボン印字のプリンターが必需品でした。モチロン中嶋さんのEPSONです。
数年後、ニューツーリングカーへ移行します。トムスではそのタイミングでPiデータロガーを導入することになりました。輸入代理店の方に教えをいただきながら、毎晩遅くまでいじくり倒していた記憶があります。
時を同じくして、私はレーシングカーエンジニアリングにのめり込んでゆくのですが、ロールセンターとかロール剛性とかブローオフなんていうキーワードを耳にすると、B型はすぐに興味を持ち始めます。
レーシングオンやオートスポーツ、会社にある本で調べ始めるのですが、それらでは物足りないものでしたので、度々東京の大型書店へ出向いていました。スマホでググってわずか数秒後に知識が手に入る現代とは、その量も質もスピードも比べ物になりませんでした。
部品の製作スピードは、大幅に向上したもののひとつです。私は始めにドラフターでの手書き製図を覚え、その後急速にPCが普及し、2DのCAD~3Dへと進化しました。並行して、各種シミュレーション技術においても、最近では大変身近なものとなっています。
この30年で、僅か1MBのFDが、数TBのSSDに変わりました。誰もがスマホを手にする時代です。あらゆる技術の発展は、社会様式のみならず、レースにも大きな変化を与え続けています。
トムスでは働く時間が実質1/2程度となり、とても健全になりました。簡単に知識や技術が手に入る一方で、エンジニアやメカニックとして、独り立ちするまでには時間がかかるのかなと思っています。いまの方が圧倒的に良い環境でありますし、これから10年また10年と、必ず変化を感じてゆくことでしょう。
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さて、スーパーGTは延期されていた鈴鹿戦を迎えます。4月のテスト結果は6割無駄になってしまいましたが、レイアウトや路面に対するアプローチに変わりはありません。+10度とウエイト増量への対応、外乱要素の夕立とFCY。そして、GT-Rのポジションが気になるところです。
8月21日予選、8月22日決勝。熱いレースを観に来てくださいね!