第4戦富士をスキップし、迎えた第5戦鈴鹿は“二度目のシェイクダウン”でもあった。その走り出し、土曜日午前の公式練習ではマイナートラブルが発生してしまい思うように走り込むことができなかった。それでも予選Q1はA組9番手、総合17番手と今季最上位のグリッドを得た。Q1A組突破に足りなかったのは、わずか1000分の9秒だった。
しかし、チームはこの結果に消沈していた。グリッドは上がったが、第3戦鈴鹿よりラップタイムが落ちたためだ。
「全体的なダウンフォースレベルを上げようと、良かれと思いダクトの形状を変えたのですけど、エアロバランスが崩れてパフォーマンスが下がってしまいました。フロントのアンダーパネルも形状は同じですけど交換していて、個体差によってやはり変わってしまいます。剛性が落ちてたわんだり、下面を擦って形が変わったりします。レーシングカーは非常に繊細で、外観は同じでもダクト類などの変更だけでも(パフォーマンスに)影響します。特にフロントまわりは、リヤまでの空気の流れをすべて変えてしまうから難しいです」と木野エンジニア。
2016年にマザーシャシー(MC)のVivaC 86 MCで、当時現役ドライバーだった武士代表とともにドライバーズチャンピオンとなった松井孝允も、MCとGTA-GT300規定車両の違いを証言する。
「どちらもコーナリングマシンですが、MCは軽さが一番の武器で『止まる・曲がる』でタイムを稼いでいました。GTA-GT300車両は下面である程度の自由度があるので、ダウンフォースの重要度は高いと感じます」
また松井は、クラッシュ前後での走行フィーリングの違いも明かしてくれた。
「第5戦鈴鹿のレースウイークで走り始めて、『あれ? ダウンフォースが減ったな』というのが第一印象でした。あらためて、このスープラはダウンフォースで走るクルマだということを理解できました」
ライバルのGTA-GT300車両の多くがCFD(流体力学)解析や風洞テストでエアロ開発を行っているのに対し、HOPPY team TSUCHIYAではその予算が組めない。富士のような直線が長いサーキットならダンパーストロークなどである程度の解析はできるというが、それ以外のサーキットでは「ドライバーのコメントと、あとは純粋にラップタイム、セクタータイム、ロガーデータの比較になります」と、木野エンジニアがあらためてエアロダイナミクスの難しさを吐露する。
だが、第5戦の決勝を戦い終えたふたりの表情は明るかった。
「450kmをしっかりとレースペースで完走できたことは大きな収穫でした」と、多くの情報を得られたことに前を向く木野エンジニア。松井からは、その実を聞くこともできた。
「クラッシュするまでは、この部分が速かったんだなと、あらためて発見できました。このスープラが持っているポテンシャルを引き出すには、どの部分を伸ばしていけばいいか、より的を絞れたと思います。クラッシュも無駄ではなかったと、チームのみんなで分かち合うことができました」
そして第6戦SUGO。HOPPY Schatz GR Supraは、ダクト類などをできる範囲でクラッシュ前の状態に戻してきた。そして、予選Q1A組で松井が6番手タイムを刻み、Q2では野中が6番グリッドを獲得。決勝は雨に翻弄される展開となったが、10位で初入賞を果たした。「ドライだったらもっと上の順位になれた自信はあったんですけど」と木野エンジニアは悔しさも口にするが、ヨコハマタイヤユーザーとしては2番手、GTA-GT300車両としては3番手という好結果だった。
実質5戦目での入賞を木野エンジニアは早いと感じたのか? 遅かったと感じたのか?
「クルマを作っているときは開幕戦で勝つつもりでいましたからね(笑)。それは少し言いすぎですけど、1戦欠場して修理をしたら(クルマのキャラクターが)変わってしまって、三歩進んで二歩戻るみたいなシーズンでした。時間はかかりましたけど、やっとスタート地点に立てた感じです」
結果的に、HOPPY Schatz GR Supraの2022年シーズンのベストリザルトは第6戦SUGOだった。チームは来季に向け、すでに動き出している。
「予定していることもありますし、やりたいことはいっぱいあります。できたらCFDをやりたいと思って、3Dスキャナーを自腹で購入しました。まだ、できるかは分からないですけどね。当然、未熟なところはありますが、僕もチームのみんなも、全員が自信を持ってやっています。みんなの志は高いです。だって、7戦6勝(1998年全日本GT選手権。つちやMR2はシリーズ6戦中5勝、オールスター戦でも優勝)の土屋春雄がいるんですから」
HOPPY team TSUCHIYAは、偉大な先人の背中を追い続けている。