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F1 | ケビン・マグヌッセン(Kevin Magnussen) 2024年

ケビン・マグヌッセン(Kevin Magnussen) 2024年

デンマーク / マネーグラム・ハースF1チーム /

ゼッケンNo. :20

●国籍:デンマーク
●生年月日:1992年10月5日(31歳)
●身長/体重:173cm/68kg

ケビン・マグヌッセン関連ニュースまとめ

2023年シーズン成績
●出走:22回
●優勝:0回
●表彰台:0回
●入賞:3回
●完走:19回
●PP:0回
●ドライバーズランキング:19位/3ポイント

通算成績
●F1デビュー:2014年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:マクラーレン(2014~15年オーストラリアGP<決勝非出走>)→ルノー(16年)→ハース(2017年~20年、22年〜)
●出走:164回
●優勝:0回
●PP:1回
●表彰台:1回
●ドライバーズ選手権最上位:9位(2018年/ハース)

■ケビン・マグヌッセン プロフィール

 父ヤンもレーシングドライバーで、21歳で英国F3のタイトルを獲得。その年にはマクラーレンでF1初走行に臨み、翌1995年に正式なテストドライバーとなった。この年マクラーレンのレギュラーだったミカ・ハッキネンが虫垂炎の緊急手術を受けたことで、第15戦となる日本開催のパシフィックGPで代役出場し、F1デビュー戦を10位完走。96年をもってマクラーレンとの契約を解かれると、翌97年にこの年からの新興スチュワート(レッドブルの起源となるチーム)入りし、デビューシーズンのフル参戦を託された実績がある。

 98年の途中でヤンはスチュワートを放出され、F1でのキャリアはそこで終えたが、スポーツカードライバーとしてはなお現役だ。

 そんなヤンの息子としてケビン・マグヌッセンは生まれ、当然のように幼少期からカートに親しんだ。地元デンマークでレースを始め、カートの国際舞台登場は13歳を迎える2005年。主要タイトルの獲得こそないが、いくつかの国際レースを制す。

 3年後の08年にフォーミュラ転向。1年目はデンマークのフォーミュラ・フォードを走り、11勝を挙げシリーズチャンピオンとなる。

 09年はフォーミュラ・ルノーで北ヨーロピアンカップ(NEC)とユーロカップにエントリー。ユーロカップは未勝利のシリーズ7位だったが、NECは1勝と12回の表彰台を記録して総合2位、ルーキーオブザイヤーを手にした。10年はドイツF3を主戦場とし、3勝でランキング3位となり、ここでもルーキーオブザイヤー獲得。ユーロF3にも2レースにスポット参戦した。

 この年には当時マクラーレンとメルセデスが共同で行なっていた、ヤングドライバープログラムにも加わる。父子2代のマクラーレンの契約ドライバーとなった。

 翌11年は英国F3で7勝したもののランキング2位に留まり、父と同じ同選手権の制覇はならず。国際レースの『マスターズF3』でも3位を得た他、『マカオGP』にも出走した。

 そして12年2月に、マクラーレンからはF1の初走行機会が与えられる。シーズン中にもシミュレータ作業を任されるなど、F1ドライバーとしての育成が本格化する。参戦カテゴリーとしてはフォーミュラ・ルノー3.5に進出し、1勝と3回の表彰台でランキング7位だった。なお、11月に行なわれたアブダビF1合同テストにも参加している。

 13年はマクラーレンでサードドライバーに昇格、シーズン中のテストも担当した。チームを移籍した2年目のフォーミュラ・ルノー3.5では5勝し、シリーズタイトルを獲得。11月にマクラーレンから、14年のレギュラー起用が発表された。

 父のなし得なかったマクラーレンのレギュラーとして臨んだ14年開幕、デビュー戦となったオーストラリアではいきなり予選4番手タイムをマーク。レースは3位でチェッカーフラッグを受ける。デビュー戦表彰台は、同じくマクラーレンの07年ルイス・ハミルトン以来。さらに2位フィニッシュだった当時レッドブルのダニエル・リカルドがこの年から導入のパワーユニット最大燃料流量規定違反で結果除外とされ、公式記録は2位に繰り上がりとなる。

 まさしく華々しいF1デビューとなったが、その後はチームの開発が停滞。表彰台の再現はなく、翌15年にはフェルナンド・アロンソが移籍してくることで、ドライバーズランキング11位で終えたマグヌッセンはふたたびサードドライバー契約に戻されてシートを失う。

 そのアロンソが開幕前の新車テストで大クラッシュ。ドクターストップがかかったことで15年開幕戦オーストラリアを代役出場として迎えることになるが、この年からF1復帰してマクラーレンと組んだホンダ・パワーユニットがレース前のレコネッサンスラップで白煙を噴き、スタートはかなわず。アロンソ復帰でこれがマクラーレンからの最後のエントリーとなり、10月にはチーム離脱が発表される。

 16年はワークスチームを復活させたルノーに在籍、組織再建中の状況下でクルマの競争力不足に苦しみ、入賞2回に留まる。

 翌年に向けたルノーからの残留オファーはあったが1年契約とされ、複数年を提示してきた17年が参戦2年目のハースに移籍を決めた。ハース1年目は獲得ポイントで先輩チームメイトのロマン・グロージャンを下回ったものの、入賞5回を果たす。

 18年はクルマの好調も手伝って入賞を11回に伸ばし、年間のドライバーズランキングでも自己ベストの9位を得て、14位グロージャンを下した。新たな複数年契約を手に入れた19年はチームが前年5位から9位にコンストラクターズランキングを下げるなか、グロージャンとの対決には2年連続で勝利している。

 ハースで4年目を迎えた2020年は第3戦ハンガリーGPでシーズン初入賞を果たすも、VF-20のパフォーマンスが低かったこともあり入賞はこの1回のみとなった。さらにチームの財政問題により2021年のシートを維持することは難しいと考えられており、実際に10月にはグロージャンと共に放出が決まった。これにより2021年は戦いの場をIMSAウェザーテック・スポーツカー選手権に移し、インディカーにもスポット参戦。元F1ドライバーの父ヤンと共にル・マン24時間レースにも初挑戦した。

 2022年も引き続きIMSAに参戦し、さらにはWEC世界耐久選手権のハイパーカークラスでプジョーをドライブする予定だった。しかしハースがニキータ・マゼピンとの契約を打ち切ったため、その後任としてハースと複数年契約を締結して再びF1に参戦することが決まった。

 その2022年は開幕戦でいきなり予選でQ3に進出し、決勝では5位に入賞するという最高のカムバックを果たした。続くサウジアラビアGPでも入賞するが、F1から離れていたこともあり、シーズン序盤は首を痛めることもあった。自らのミスで入賞を逃すこともあったが、イギリスとオーストリアではシューマッハーとともに2戦連続のダブル入賞を記録するなど、安定した走りを見せた。

 その一方で、好スタートを切りながらもスタート直後に他車と接触するというミスを繰り返す一面も。接触によりブラック&オレンジ旗を出され、ピットに戻らなければならずポジションを失うなど不運に見舞われることもあったが、シーズン終盤のブラジルでは自身初のポールポジションを獲得した。トップからスタートしたスプリントでも入賞するが、好結果が期待された決勝ではスタート直後に他車に追突されリタイアに終わった。それでもF1復帰1年は、25ポイントを獲得して選手権13位という成績を残した。

 ハース復帰2年目、2023年はマシンパフォーマンスの低さも相まって苦戦し、入賞はわずか3回、ドライバーズ選手権19位と低迷した。それでもマイアミGPでは4番手と上位グリッドを獲得する速さも見せた。またシンガポールGPから日本GPにかけてはエンジニアリングディレクターの小松礼雄とともに改善に取り組み、自身のドライビングスタイルと合うシンガポールでは入賞。小松エンジニアは2024年に向けて「まだまだやれることがある」と評価した。

公式サイト:
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