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F1 | ランス・ストロール(Lance Stroll) 2024年

ランス・ストロール(Lance Stroll) 2024年

カナダ / アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム /

ゼッケンNo. :18

●国籍:カナダ
●生年月日:1998年10月29日(25歳)
●身長/体重:182㎝/70㎏

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2023年成績
●出走:22回
●優勝:0回
●表彰台:0回
●入賞:12回
●完走:18回
●PP:0回
●ドライバーズランキング:10位/74ポイント

通算成績
●F1デビュー:2017年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:ウイリアムズ(2017~18年)→レーシング・ポイント(2019~20年ロシアGP、ポルトガルGP~)→アストンマーティン(2021年〜)
●出走:145回
●優勝:0回
●PP:1回
●表彰台:3回
●ドライバーズ選手権最上位:10位(2023年/アストンマーティン)

■ランス・ストロール プロフィール

 父ローレンスはファッションブランドを主に、世界的超有名企業の株式を大量所有する資産家として知られる。

 カナダGPの開催地モントリオール出身。9歳のころから、地元ケベック州でカート競技に出始める。2010年まではカナダと米国を活動拠点とし、カートでいくつかのシリーズタイトル獲得があった。10年の6月にはフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA=若手ドライバー育成プログラム)に、11歳で異例の選抜を受ける。

 11年にはヨーロッパに移り、それまでのジュニアから『KF3』クラス参戦。国際舞台にも姿を現すようになり、13年にはトップカテゴリーの『KF』クラスで世界選手権6位の結果を残した。

 14年からのフォーミュラ転向を控え、まずは冬の間のトレーニング期間として、気候温暖な米フロリダ・ウインターシリーズで過ごす。ヨーロッパのレースシーズンが開幕すると、イタリアF4にエントリー。18戦で7勝を挙げてでシリーズチャンピオンとなる。

 次の冬は今度は南半球ニュージーランドに渡り、『トヨタ・レーシングシリーズ』で16戦4勝、ここでも王座に輝く。その後F3進出、15年のヨーロッパ選手権を走る。ランキングは5位に終わったが、最終戦ホッケンハイム開催のレース1で1勝を得た。年末の国際レース『マカオGP』では8位だった。なお、この年の11月にはFDAを離脱し、ウイリアムズとデベロップメント(開発)ドライバー契約を結んだ。

 16年は年の始めにデイドナ24時間レースに参戦し、総合5位の結果を残す。チームを移籍して臨んだ2年目のヨーロッパF3では30戦14勝とし、選手権タイトルを手に入れた。これでスーパーライセンスの発給基準を見たし、いよいよ父と共同でのF1デビューへ本格準備が始まる。

 父ローレンスが完全支援の計画は、金銭的にも破天荒。未経験とする世界各国の開催サーキットを、F1実車を使ってプライベートテストで回ろうというものだ。F1史上最高とも言われる資金量持ち込みに、ウイリアムズも全面協力した。ローレンスが借り切ったサーキットに既定に触れないよう2年型落ちのクルマを提供し、テストチームを専任で送り込んだ。メルセデスも専用でパワーユニットを供給した。

 11月にウイリアムズから17年レギュラードライバー起用が正式発表。なお、先のプライベートテスト行脚は17年のシーズン中にも続けられており、そのなかには9月に実施された鈴鹿も含まれている。

 そしてストロールはF1デビューの年に、自身の専属広報をつけて現れた。これもまた、新人ドライバーとしては異例でしかない。

 ただ開幕当初はなかなか結果を残せず、初入賞は第7戦の母国カナダ9位となる。そして次戦のアゼルバイジャン、毎年のように荒れる市街地レースで予選8位から混乱をくぐり抜けて終盤戦には2番手まで浮上。チェッカーフラッグ目前のホームストレートでメルセデスのバルテリ・ボッタスからオーバーテイクを受けたものの、3位でデビュー8戦目の初表彰台を手にした。18歳239日でのF1表彰台は、前年に優勝でマークしたマックス・フェルスタッペンにわずか11日およばない年少2位の記録となる。また、この年にメルセデス、フェラーリ、レッドブル以外のドライバーが乗った唯一の表彰台でもあった。

 だが、これで劇的にドライビングのスキルがアップしたということではなく、その後は13戦で5回の入賞で年間ランキングも12位に留まる。

 翌18年はF1開幕前にデイトナ24時間2度目の出走、総合15位で終えた。この年のウイリアムズは当初からシャシー設計に欠陥が言われており、各部門の責任者たちが続々更迭となる異常事態に見舞われていた。サマーブレークを迎える前の12戦で、わずか8位1回の入賞だった。

 そんななか、サマーブレークの期間中に父も名を連ねるコンソーシアム(企業家グループ)が破産手続きに入ったフォースインディアを買収。前オーナーの一族のみ排除して体制を維持しつつ、レーシングポイントを新チームとして発足させた。

 シーズン中に正式発表こそ行なわれることはなかったが、この時点で息子ランスの翌19年加入は既定路線とされる。事実シーズン最終戦後のアブダビ居残りテストには、ウイリアムズではなくレーシングポイントで参加。すぐに移籍決定の運びとなった。

 19年は最高位4位が1回あったが、年間の総獲得ポイントはチームメイトのセルジオ・ペレスの半分にも満たない数字で、ドライバーズランキングは20人中の15位。しかしながらチームとの契約期間は当初から明かされておらず、無風のなかで20年シートも確保済みだ。

 新型コロナウイルスの影響でシーズン開幕が遅れた2020年。レーシングポイントのマシンがメルセデスの2019年型マシンに酷似していたことで話題を呼んだが、プレシーズンテストの段階から速さを発揮しており、ストロールは第1戦こそリタイアに終わったものの、第2戦からは安定して入賞を続けた。

 第8戦イタリアGPでは波乱の展開のなかで生き残ったこと、赤旗中断中にタイヤ交換を行えたことなどが功を奏し、リスタートでミスがあったものの自身2度目の表彰台を獲得。体調不良などでレースを欠場したシーズン中盤はリタイアが続いたが、第16戦サクヒールGPでは再び3位に入賞。優勝したペレスとともに、チームにダブル表彰台をプレゼントした。

 チームがレーシングポイントからアストンマーティンへとリブランドした2021年は、レギュレーションへの対応が遅れたこともあってマシンの戦闘力はそれほど高くなかった。シーズン最高位はカタールGPでの6位で、表彰台獲得はならず。入賞は9回、獲得ポイントは34ポイントと2020年の成績を下回り、ランキングは13位だった。

 序盤のマシンパフォーマンスは低かったが、シーズン前半は4度入賞。後半戦も4度入賞と、8回の入賞を達成したが獲得ポイント、ドライバーズ選手権の順位は前年を下回った。アメリカGP決勝では、バックストレートで自身の背後を走行していたフェルナンド・アロンソと接触し、アロンソのマシンがあわや空中に舞い上がるかというアクシデントが起きた。この時ストロールには次のレースでの3グリッド降格ペナルティが科されたが、ストロールのドライビングには非難が集まった。2023年はそのアロンソがチームメイトになる。

 2023年はトレーニング中のアクシデントで骨折し、プレシーズンテストを欠席するという幸先の悪いスタートを切ったストロール。それでも開幕戦では6位と、表彰台に乗ったアロンソとともにダブル入賞を果たした。シーズン中には別の競技へ転向するのではないかという噂まで流れたが、本人はそれを否定。終盤のサンパウロGPでは難しいコンディションのなかで行われた予選で3番手を獲得し、レースでも5位に入賞するなど随所で速さを見せ、選手権10位でシーズンを終えた。

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