更新日: 2016.03.19 09:16
マクニッシュが絶賛するティンクネルの“正確”さ
昨年はニッサンのLMP1プロジェクトに加わるなどスポーツカーレースの世界で今、密かに注目を浴びる若手ドライバー、ハリー・ティンクネル。今年、オートスポーツwebではティンクネルのコラムを連載、本人に今季のレース活動やプライベートな部分を語ってもらいます。そこで今回は、彼をよく知る“レース界のお父さん”、アラン・マクニッシュにハリーについて紹介してもらいます。
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日本のみなさん、こんにちは。アラン・マクニッシュだよ。今日は、皆にぜひ知ってもらいたい若手ドライバーがいるのでこの場を借りて紹介しようと思っているんだ。そのドライバーの名前はハリー・ティンクネル、イギリス期待の24歳のドライバーだ。
その前にひとつ、僕のこと憶えている? できれば、日本の熱心なモータースポーツファンの中に、僕のことを憶えていてくれる人たちがいれば、嬉しいな。
オートスポーツwebでは今年、ハリーのコラムを掲載してくれることになったんだけど、きっと多くの人たちは、彼のことをよく知らないよね? 僕はこれまで20回以上も日本に行っているけど、彼はたった1度しか日本に行ったことがないから、それも無理のない話だ。だけど、この先皆はもっとハリーの名前を耳にするようになるって、僕は信じているんだ。
僕がハリーに初めて会ったのは、彼が16歳になったばかりの頃だった。彼は、2007年からレーシングカートをやっていたけど、当時はシングル・シーターに乗りたがっていたんだ。僕は、それまでの彼の成績に興味を持っていたから、イギリスのロッキンガムで行われたフォーミュラ・ルノーのテストに彼の走りを確かめに行ったんだ。バンクに向かって上がって行く“Sベンド”と呼ばれる右のタイトコーナー、そのサーキットでは、最後のシケインに当たる場所で僕は彼の走りを見ていたんだけど、正確無比としか言いようがないほど、毎周同じラインを通っていた。1インチのズレもないんだ。そこにコースを攻める彼の精神的なプロセスを見ることができて、僕はとても興味を持ったし、彼が成長するための手助けをしたいと思った。アドバイザーとして、彼が正しい選択をできるようにね。間違った選択をすると、この世界では全くリザルトを残せないから、そうならないようにしてあげたいってね。
過去何年間か、彼がスポーツカーの世界で築いてきたキャリアを通して、この“正確さ”っていう言葉は特筆すべきものだった。彼は人間として、とてもキッチリしている。コース上で、常に安定していて、理解度が高いだけでなく、走った後のデブリーフィングや彼が提出するレースレポートは、エンジニアやチームメイトにとって、とてもキチンとしている。とにかく何に対しても、正確なんだよ。
僕は、最初にアドバイザーになってから、彼に対してできるだけ正しい助言をしようと努めてきた。そして、その時と比べて、今では仕事上のすべての要素に関して、ふたりの関係が発展したよ。ハリーは、レーシングドライバーだけど、コース外でのことに関しても、ふたりの関係は上手くいっているんだ。彼自身も成長した。確かに、経験不足や若さのせいで、以前は目の前のチャンスを逃してしまったこともある。ドライバーというのは、時々、そういう問題を直視しない。だから、これまで打ち解けながらも、辛辣な話をした。でも、彼はいつも僕の考えを冷静に受け止めて、そこから何かを学ぼうとしていたし、僕のアドバイスを受け止めようとしていた。“何じゃ、このオヤジ。失せろ!”って思うのとは逆にね(笑)。それが僕らの関係性で、お互いに尊重し合っているんだ。彼のキャリアに僕がもたらしたものに対しては、彼も感謝してくれているんだ。
彼の成熟ぶりは、スポーツカーレースの世界で、どんどん前進している。シングル・シーターでのキャリアは、2013年のヨーロッパF3選手権でのシーズン5位という成績を持って、最後になってしまった。資金不足によって岐路に立たされたんだよ。だから、僕らは決断するしかなかった。GP2に行くだけの資金はない。一方、僕はスポーツカーレースの世界を知り尽くしていた。だから、彼のために、LMP2カーでのテストの機会を設けたんだ。そのテストの場に、僕自身はいなかったんだけど、そのチームのマネージャーから受け取ったSMSのことは忘れられない。ハリーがたった10周走った後に送ってきたんだけど、そこには“何てこった! このボウズ、超速いじゃね〜か”って書いてあったんだ(笑)。ハリーは、そのまますぐにレギュラードライバーたちよりも速いタイムを記録した。きっと彼は、自身の自然な居場所を見つけたんだなって、僕は思った。彼は、仕事のやり方や運転の経緯を確立するために、必要なすべてを提供することができたんだ。だから、飛び立つにふさわしい時だったと思う。
彼が最初にJOTAスポーツから出場したELMSでの偉業は、素晴らしいものだった。シルバーストンで、2番手以降に1秒以上もの差をつけて、PPを獲得したんだ。見ていた人達はビックリしたかもしれないけど、僕はその時ニンマリしていたよ。でもね、それ以上に、僕には最も誇らしい瞬間がある。それは2014年のル・マン24時間。ロイック(・デュバル)が大事故に遭って、当時JOTAスポーツのチームリーダーだったマルク(・ジェネ)が代役としてアウディ・スポーツ・チーム・ヨーストからエントリーすることになった。ハリーにとっては、わずか3戦目のスポーツカーレースだったし、ル・マンはまったくの初めて。それなのに、マークがいなくなってしまったから、ハリーはチームのリーダー役を任されることになった。それでも、PPからわずか0.1秒以内のタイムを出して、予選では2番手。レースでも序盤からリードした。その後、JOTAスポーツのクルマにはトラブルが出て、一旦はポジションを落としてしまった。そこから、ハリーとオリバー・ターベイ、サイモン・ドランの3人は遅れを取り戻し、戦いを再開した。ハリーの最後のスティントで日産エンジンを搭載したザイテックは再びトップの座を取り戻し、オリバーにバトンをつないでトップチェッカーを受けたんだよ。本当に完璧な素晴らしい仕事ぶりだった!
表彰台でのセレモニーを終えて下りてきたハリーの満面の笑みは、見ている僕らにとっても最高だった。あの日、ハリーは、少年から“男”へと成長を遂げたんだ。間違いなく、彼の正確さやレースへの献身、エネルギーだけでなく、強さや決して諦めない人間性が花開いた1日だった。それがチームにル・マンでの優勝をもたらしたんだ。そして、それこそニッサンが、去年、彼をLMP1プログラムに抜擢した理由の一部だと思う。彼を選んで、即座に電話してきたんだからね。残念ながら、ニッサンのプログラムはみんなが期待していたような成果を出せなかった。だけど、ハリーはニッサンで仕事をしたことで、同僚のオリビエ・プラと、とても強いきずなを築くことができた。去年、ふたりは多くのテストを一緒にこなしたからね。チームとして仕事をするためには、いい関係を築いて、お互いを理解し合うことがいかに重要か、それをより学んだんだ。ニッサンは、LMP1のプログラムをストップすることになってしまったけど、それでもずっとハリーを支持してくれていたし、今でも一緒に仕事をしたいと思ってくれている。それこそ彼が仕事の中で成し遂げたことの証だ。ル・マンでのレースの時にコース上で見せたことだけでなく、プログラムが可能な限り上手くいくようにと、彼がコース外でやっていたことも含めてね。
何はともあれ、今の僕の役割は、(アドバイザーというよりも)ハリーのパートナーだ。そして、僕はそれを楽しんでいるんだ。ハリーの目を通して物事を見ると、僕が20〜25年前に自分のキャリアの中で乗り越えて来なければならなかったものが見えてくるんだよ。同時に、それがとても楽しい。
じゃあ、僕はこの辺で。次回からは、ハリー本人に自分のことを語ってもらおう!