更新日: 2018.12.15 10:51
現役引退のペドロサが明かす胸中。「いつか必ずタイトルを獲れると信じていた」/特別インタビュー前編
文/富樫ヨーコ
今までで一番悔しかったレースはどれか、と尋ねるとペドロサは「2012年のサンマリノGP(ミサノ)だ」と即答した。
第13戦サンマリノGP直前まで、ランキング首位のホルヘ・ロレンソに13点差で2位につけていたペドロサ。シーズン後半はアラゴン、もてぎ、セパン、バレンシアと得意なサーキットが多かったのでロレンソを逆転する可能性は大きかった。
「ミサノではポール(ポジション)からのスタートだった。でもスタート時に他車のエンジンがストールしてスタートディレイになってしまった。再スタートまでどれぐらい時間があるのかもわからなかった。そのうち僕のマシンにトラブル(タイヤウオーマーが外れなくなった)が発生し、最後尾からのスタートになったんだ」
最後尾から追い上げていたペドロサはエクトル・バルベラのクラッシュに巻き込まれて転倒。痛恨のノーポイントに終わってしまった。そして、結局ミサノでのノーポイントが大きく響き、ロレンソに続いてランキング2位で2012年シーズンを終えたのだった。
では、今までで一番うれしかったレースはどれか。
「いくつもあって一つ挙げるのは難しいけど、強いて言えば2004年のウエルコム(南アフリカGP)だ。250ccのデビュー戦だった」
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2003年、ペドロサは125ccチャンピオンを決めた直後のオーストラリアGPで転倒し、両足首を骨折した。手術を受けたが、シーズンオフに全く250ccマシンに乗れなかったペドロサは、ぶっつけ本番で開幕戦南アフリカGPに臨み、優勝したのだった。
「あのときは信じられない気分で本当にうれしかったのを覚えている」とペドロサ。
「あと、MotoGPレースで一番印象に残っているのは2012年のブルノ(チェコGP)だ。あのときは最終ラップまでロレンソとすごいバトルをして競り勝った」
ロレンソとペドロサは2005年のドイツGPで接触して以来、長期間にわたって険悪な関係にあった。眼も合わせず、握手もしない。敵対心を剥き出しにしたライバル関係である。
「僕らにはみんな、野望があるから、対立するというのはノーマルなことだ。でも、僕らがあまりにも強いライバル意識を見せていたから、スペイン国王が心配して僕とホルヘを仲裁してくれたんだ」
スペイン国王ファンカルロス一世はモータースポーツ、なかでも特にオートバイレースが大好きでペドロサとロレンソの対立に関しても詳しく知っており、心を痛めていたのだろう。そして、“ふたりとも私の国の民であるのに、憎みあっていてもしょうがない、ここはひとつ私が何とかしよう”と考えたに違いない。
2008年のスペインGPで国王は、表彰台に上がったペドロサ(優勝)とロレンソ(3位)の手を取り、握手をうながしたのだった。
「あのとき、国王が具体的になんて言ったのかは覚えていないけど、ジェスチャーで僕とホルヘは国王の考えを理解したんだ。その後、僕らはお互いを理解するようになった。心を開いて、考え方の違いを尊重するようになった。お互いに対する闘争心とモチベーションは維持しつつ、相手に対するリスペクトを持つようになったんだ」
*ライディングスポーツ2019年1月号掲載