更新日: 2020.05.27 19:46
MotoGP番外編:ヤマハOBキタさんの『知らなくてもいい話』/高速道路の二輪車ふたり乗り解禁(後編)
対応してくれたのはいかにも官僚といった感じの課長級のふたりだったが、正直なところ自分がどんなことを話したか全く覚えていない。覚えているのは、そのうちのひとりが「国会議員のSさん(父親も自民党の大物議員)が、ふたり乗りを許可すると暴走族が高速道路を走りゃせんかって危惧しているんですよね」というなんとも間の抜けた話に、笑っていいものかどうか困って一同で顔を見合わせたことである。
そもそも法を無視する彼ら暴走族が高速道路をふたり乗りで走りたければとっくに実行しているはずで、そんなことすら分からんのかね? と、浮世離れした国会議員の話にあとで大いに盛り上がったのは言うまでもない。
もうひとつ印象的だったのが、「(警察としては)国会議員の先生が『良し』って言ってくれれば反対する理由はないんですよね」という下りである。極論すると、法改正は政治家先生の仕事で警察はそれに従って行動するだけ、ふたり乗りを解禁した結果について警察は責任を問われるわけではない、といういかにも官僚的なスタンスだった点だ。
ともあれ、そんなプロセスを経て高速道路の二輪車ふたり乗りは条件付きながら2005年の4月から無事に解禁の運びとなった。が、いまにして思うとこの法改正はすでに関係筋では合意ができていて、筆者も含めてシナリオどおりに動いただけ――という気がしてならない。
とはいえ、この法改正に多少なりとも関わってしまった身として高速道路の二輪車ふたり乗りの事故についてはそれ以来ずっと気にかけている。幸いにして高速道路における二輪車の死亡事故が2005年を境に増えたという事実はないし、むしろ減少傾向にある。
しかしふたり乗りが事故の直接的な要因となる可能性は極めて低いとしても、万がいち事故が起きた場合は死傷者数が『×2』となる事実は否定できないし、事故の悲惨さという点で社会に与える印象は大きい。
高速道路の二輪車ふたり乗りが禁止された1965年のような状況に再び戻ることのないよう、ライダーのみなさんにはぜひ安全運転を心掛けていただきたいと思う次第です。
さてその後の筆者はというと、2005年にはすでにMotoGPの現場に戻って陣頭指揮を執る立場になっていたのだが、この4年間で得た先進安全技術の知見(特に6軸センサを用いた車両状態推定によるエンジン制御)や操縦安定性解析に関する知見は、のちに余すところなくマシンの性能向上と問題解決に役立つことになった。
いまにして思えば、すべてが自らの意志とは無関係に敷かれた運命のレールの上を進んでいたようで、信仰とは無縁の筆者だが『他力』の存在を意識せざるを得ない体験であった。
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キタさん:北川成人(きたがわしげと)さん 1953年生まれ。1976年にヤマハ発動機に入社すると、その直後から車体設計のエンジニアとしてYZR500/750開発に携わる。以来、ヤマハのレース畑を歩く。途中1999年からは先進安全自動車開発の部門へ異動するも、2003年にはレース部門に復帰。2005年以降はレースを管掌する技術開発部のトップとして、役職定年を迎える2009年までMotoGPの最前線で指揮を執った。