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F1 | セルジオ・ペレス(Sergio Perez) 2024年

セルジオ・ペレス(Sergio Perez) 2024年

メキシコ / オラクル・レッドブル・レーシング /

ゼッケンNo. :11

●国籍:メキシコ
●生年月日:1990年1月26日(34歳)
●身長/体重:175㎝/68㎏

セルジオ・ペレス関連ニュースまとめ

2023年成績
●出走:22回
●優勝:2回
●表彰台:9回
●入賞:19回
●完走:20回
●PP:2回
●ドライバーズランキング:2位/285ポイント

通算成績
●F1デビュー:2011年第1戦オーストラリアGP
●在籍チーム:ザウバー(2011~12年)→マクラーレン(2013年)→フォース・インディア/レーシング・ポイント(2014年~20年ハンガリーGP、スペインGP~アブダビGP)→レッドブル(2021年〜)
●出走:261回
●優勝:6回
●PP:3回
●表彰台:35回
●ドライバーズ選手権最上位:2位(2023年/レッドブル)

■セルジオ・ペレス プロフィール

 兄とともにモータースポーツの英才教育を受け、6歳のときにはカートの競技デビューを果たしている。1年目の1996年は、メキシコ国内のジュニアクラスで4勝。翌97年からユースクラスに昇格し、2年で同国最年少のシリーズチャンピオンとなる。

 以降クラスをステップアップしながら、2003年までカート生活を続けた。すでにこのカート時代、メキシコの実業家で世界的な大富豪として知られるカルロス・スリムからの支援を受け始めている。

 04年米国に渡り、初フォーミュラとなる『スキップ・バーバー・ナショナル・チャンピオンシップ』参戦。1年で今度はヨーロッパに向かい、ドイツを拠点としたレース活動を始める。05、06年の2年間は同国のフォーミュラ・BMWを走ったが、3度の表彰台獲得で留まる。

 06年のシーズンを終えると当時存在したドライバーの国別対抗戦『A1グランプリ』に2レースのスポット参戦があったが、ここでも結果は残せず。07年は英国に移り、キャリアの浅いドライバーが対象の同国F3『ナショナルクラス』参戦。21戦で14勝を挙げて、タイトルを手にした。08年は英国F3本戦にステップアップし、4勝でランキング4位となる。

 この英国での2シーズンを終えると、F1への登竜門GP2(現FIA F2)に進出。08-09年にまたがって行なわれたアジア・シリーズをまず走り、11レースで2勝の結果を残す。しかし09年のメインシリーズは未勝利の表彰台2回で、シリーズ12位で終えた。この年の末でチームを移籍し、アジア・シリーズ4レースの出走を経て、2年目のGP2本シーズン。5勝と大きな前進はあったが、総合2位でタイトル獲得は逃した。

 翌11年に向けては、ザウバー(現アルファロメオ)からのF1デビューが発表となる。ただ同時にスリム率いる企業グループが同チームの支援を決め、当初はペイ(資金持ち込み)ドライバーと見られていた。同じタイミングで、フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA=若手ドライバー育成プログラム)入りも果たす。

 ザウバー時代のチームメイトは、小林可夢偉。11年のF1デビュー戦オーストラリアは7番手フィニッシュしたものの、レース後の車検でリヤウイングが技術規定違反とされ、結果除外となる。第5戦のスペイン9位が、あらためてF1での初入賞となった。

 だが続く第3戦モナコ、初めての進出となった予選Q3中に大クラッシュ。脳震盪ほかの診断でこのモナコ、次戦カナダはFP1は出走したが体調不良を訴えて2戦のレース欠場を強いられる。復帰後は4回の入賞で、クラッシュ後遺症が残っていないことを証明した。

 ザウバー2年目の12年は第2戦マレーシアで、優勝まであと一歩のところまで迫った。極端に不安定な天候で赤旗中断までも挟むなか、レース終盤のドライコンディションでタイヤの状態が悪い首位フェルナンド・アロンソに対し、1秒差にまで追い詰める。だがコーナーでワイドに膨らんでしまい、ふたたびギャップをつくられ、その後は振り切られた。くやしい2位だったが、F1初表彰台を手にした。

 このシーズンはいずれも巧みなタイヤ管理で、さらに2度の表彰台を記録。FDA所属であることからフェラーリ加入もささやかれるほどだったが、13年の移籍先としてはマクラーレンを選択する。当然のことながら、同時にFDAメンバーからは外れた。

 ところが、12年までのマクラーレンは優勝争いの一角を占めるチームではあったが、ペレス加入の13年は一転して不調。同僚で09年のドライバーズチャンピオン、ジェンソン・バトンも含めて1度の表彰台もなかった。

 チームとの関係性も悪化し、1年でマクラーレンを去って、14年のフォースインディア(現レーシングポイント)入りを決める。新天地では3戦目バーレーンで3位フィニッシュし、表彰台返り咲きを果たした。

 その後はチームとの契約を更新しつつ、15、16年と計3度の表彰台を記録。16、17年は連続して選手権3強チーム(メルセデス、フェラーリ、レッドブル)のドライバーたちに次ぐ、ランキング7位をマークしてシーズンを終える。

 18年は第4戦アゼルバイジャン3位で、キャリア8度目となる2シーズンぶり表彰台。しかしながら当時のオーナーからの資金流入が断たれ、チームは深刻な財政難に陥る。崩壊危機にペレス自身も動き、新オーナーを迎え入れて第13戦時点からレーシングポイントにエントリー名を改めて存続。19年も残留して闘い、8月の終わりには20年からの新たな3年契約締結が発表されている。

 2020年のレーシングポイントのマシン『RP20』は、メルセデスの2019年型マシン『W10』に似ていたことでプレシーズンテストから大きな注目を集めた。実際にRP20は速さを発揮し、レーシングポイントはマクラーレンやルノーなどとコンストラクターズ選手権の3位争いを繰り広げた。

 そんななかペレスは新型コロナウイルスに感染し、シルバーストンで行われた第4戦、第5戦を欠場。シーズン中はランス・ストロールに優先してアップデートパーツが投入されるなど苦境に立たされたが、ペレスは第6戦で復帰以降、2位を獲得した第14戦トルコGPまで9戦連続入賞を果たした。

 第15戦バーレーンGPでは、3番手を走行中のレース終盤にエンジントラブルでリタイア。続く第16戦サクヒールGPでは、スタート直後にアクシデントに見舞われ最後尾までポジションを落とすも、ペレスはそこから3番手まで追い上げた。そして前を走るメルセデス勢のタイヤ交換ミスに乗じてトップに浮上し、そのままF1初優勝を飾った。メキシコ人ドライバーの優勝は、実に50年ぶりとなる。

 最終戦アブダビGPではまたもエンジントラブルが発生し、レーシングポイントでの最後のレースをリタイアで終える。ドライバーズ選手権では4位と自己最高位だったが、この時点でペレスの去就は決まっていなかった。シート喪失が噂されるアレクサンダー・アルボンの後任としてレッドブルに加入するか、あるいは1年の休養を取る可能性があったが、シーズン終了後の12月18日にレッドブル加入が発表され、2021年はマックス・フェルスタッペンとコンビを組むことになる。

 新天地レッドブルでの1年目、2021年は第6戦アゼルバイジャンGPで移籍後の初優勝を記録。このシーズンは優勝を含む5回の表彰台を獲得し、母国メキシコでも大観衆の前で3位に入賞してみせた。フェルスタッペンがタイトルを争う一方で、ペレスはシーズン終盤に入るとチームプレイに徹してフェルスタッペンをサポート。最終戦ではルイス・ハミルトンを抑える走りで大きな貢献を果たした。ドライバーズチャンピオンシップでも2年連続で4位となっている。

 レッドブルでの2年目、序盤から入賞と表彰台の獲得を重ねた。モナコGPではメキシコ人ドライバーとしての初勝利を飾るなど、フェルスタッペンと遜色ないパフォーマンスを見せていたが、フェルスタッペンが優勝を重ねる一方でペレスは勝利には手が届かず、ふたりの差は開いていった。後半戦ではシンガポールGPで勝利し、シャルル・ルクレールとドライバーズ選手権2位のを争うも、同点で迎えた最終戦での直接対決に敗れて選手権3位に終わった。

 2023年は序盤のサウジアラビア、アゼルバイジャンと市街地レースを制してフェルスタッペンと勝利を分けあったペレス。続くマイアミでも2位に入賞し、昨年優勝を飾ったモナコGPを迎えたが、予選Q1で大きなクラッシュを喫した。ここからペレスのパフォーマンスには狂いが生じ、フェルスタッペンとの差は開く一方となった。母国レースのメキシコシティGPではスタート直後にオーバーテイクを試みるもまさかのリタイアに終わるなど散々な1年となったが、選手権2位の座を守り切ることには成功。レッドブルは初めてドライバーズ選手権の1位と2位の座を手に入れた。

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