オーストラリア / ビザ・キャッシュアップRB F1チーム /
ゼッケンNo. :3
●国籍:オーストラリア
●生年月日:1989年7月1日(34歳)
●身長/体重:179㎝/69㎏
2023年成績
●出走:7回
●優勝:0回
●表彰台:0回
●入賞:1回
●完走:7回
●PP:0回
●ドライバーズランキング:17位/6ポイント
通算成績
●F1デビュー:2011年第9戦イギリスGP
●在籍チーム:HRT(2011年イギリスGP~)→トロロッソ(12~13年)→レッドブル(14~18年)→ルノー(19年~20年)→マクラーレン(21年〜22年)→アルファタウリ(23年ハンガリーGP〜)→レーシング・ブルズ(2024年)
●出走:240回
●優勝:8回
●PP:3回
●表彰台:32回
●ドライバーズ選手権最上位:3位(2014、16年/レッドブル)
父母はともにイタリア出身で、オーストラリアに移り住んだ。西オーストラリア州の州都パースに生まれる。
カートを始めたのは9歳だった。本人はこのきっかけを、アイルトン・セナに憧れてとしている。カート時代は国際舞台の主だった実績はなく、2005年、16歳を迎える年にフォーミュラ転向。地元西オーストラリアのフォーミュラ・フォードに参戦し、選手権8位だったが、かなり型落ちのシャシーを使っていた。
クルマ自体の競争力からすれば高いリザルトだったことが注目され、スカラシップを得て、翌06年のフォーミュラ・BMW・アジア選手権に進む。2勝を挙げてランキング3位のシーズンだったが、ここでもその走りには高い評価がされた。8月には1ラウンドのみの参加で、同英国選手権に遠征。年末には各国からフォーミュラ・BMWの精鋭たちが集まるワールドファイナルにも選抜され、5位の成績を収めた。これを機に、活動はヨーロッパへと移る。
07年はフォーミュラ・ルノー・イタリアを主戦場としつつ、同ユーロカップにもスポットで4レースに参加した。いずれも優勝に絡むほどの戦績ではなかったが、そのパフォーマンスぶりが、レッドブルの目に留まる。翌08年から同ジュニアチーム入りを果たした。
レッドブルの支援を受けつつ、フォーミュラ・ルノーのユーロカップと、この年創設の西ヨーロピアンカップ(WEC)にダブルエントリーした08年。ユーロカップはバルテリ・ボッタスに次ぐシリーズ2位で終えたものの、初タイトルとなる西ヨーロピアンカップの初代王座を獲得した。また、翌09年に向けての準備として、F3のドライブも開始。スポットながらユーロシリーズ等にも参戦している。
F3英国選手権を闘った09年は、2位以下に大差をつけてタイトル奪取。「マスターズF3」や「マカオGP」の国際レースも走ったが、リタイアに終わる。
次なるステップとしてはフォーミュラ・ルノー3.5が決まり、1ラウンドのみに出走した。12月には若手ドライバーを対象としたF1合同テストに参加し、レッドブルで初めての走行を体験する。好タイムをマークしたことで、翌10年の1月、レッドブル(トロロッソを含む)からリザーブドライバーの指名を受けた。
この年はF1にも帯同しつつ、フォーミュラ・ルノー3.5でシーズンを送り、2ポイント差の総合2位でタイトルを逃す。年末にはテストでまたレッドブルを走らせ、翌11年からトロロッソでFP1を担当することが決まる。
その走行ぶりから期は熟したとみたのか、レッドブルは同年の第9戦時点からリカルドをHRT(現在は消滅)のレギュラーシートに送り込む。クルマは競争力を著しく欠いており、ほとんどが最下位近くの争いではあったが、チームメイトに対し充分な力を示したことで、12年はトロロッソのシートを与えられることが決まった。
実質的なF1デビューとも言える12年、開幕戦の母国オーストラリアで9位フィニッシュしたリカルドは初めての選手権ポイントを手に入れる。トロロッソではその後2シーズンを過ごし計13回の入賞を果たす一方、リタイアはメカニカルトラブルを含めて4回と安定感ある走りを見せた。14年に向けてはマーク・ウェバーの引退が決まり、レッドブルはその後継としてリカルドのトップチーム昇格を決めた。
当時のレッドブルはドライバーズ、コンストラクターズの両選手権を4連覇中の絶頂期にあったが、この14年はF1に新パワーユニット規定導入の年となる。開幕戦オーストラリアをリカルドは2位でフィニッシュしたものの、レース後にこの年からの燃料流量規制違反をとられ、レース結果から除外されF1初表彰台を逃す。第5戦スペイン3位が、記録上の初表彰台となった。続くモナコも3位で連続表彰台とすると、第7戦カナダの荒れたレース展開のなかを終盤の連続オーバーテイクで初優勝を果たした。
ドライバーズ選手権4連覇中だった同僚セバスチャン・ベッテルがこの年を未勝利で終える一方、リカルドは新たなチャンピオンチーム・メルセデスが落としたレースをすべて勝って計3勝とし、ランキングも3位を得た。
15年はベッテルが去り、エース格となったものの、クルマが不振でチームと並んで未勝利。16年はレッドブルの競争力がやや持ち直すなかで、第5戦時点からダニール・クビアトに替わり、マックス・フェルスタッペンがチームメイトとなる。
フェルスタッペンが、そのトロロッソからの昇格1戦目となるスペインで初優勝。リカルドは次戦モナコで自身初のポールポジションから首位を走るが、ピットの作業ミスで勝利を逃す。終盤の第16戦マレーシアでフェルスタッペンとのバトルの末、ほぼ2年ぶりとなる1勝を挙げた。
17年は第8戦アゼルバイジャンに優勝。翌18年は開幕6戦で2勝したが、その後のトラブル多発で失速すると、レッドブルからの残留要請を蹴って、19年からのルノー移籍を決めた。現状はかつてのチャンピオンチーム再生に力を注ぐ。
ルノーでの2シーズン目を迎えたリカルドは、シーズン開幕前に2021年はマクラーレンへ移籍することを発表した。7月から始まったシーズンでは開幕戦こそ冷却系のトラブルでリタイアに終わったが、リタイアはこの1回だけで、第2戦以降は最終戦まですべてのレースを完走している。
第11戦アイフェルGPでは、悪天候の影響で金曜日にまったく走行することができない難しいスタートだったが、リカルドはこのレースで2年ぶりの表彰台を獲得。もちろんルノーでの初表彰台でもあり、ルノーにとっては2016年のワークス参戦以来初めての表彰台だった。
第13戦エミリア・ロマーニャGPでも3位に入賞し、この時は表彰式でシューイを披露。優勝したルイス・ハミルトンとともに披露したが、シューイを嫌っていたハミルトンから声をかけられたことに驚いたという。リカルドは2019年の倍以上の119ポイントを獲得し、ドライバーズランキングでは5位と大きく成績を伸ばした。
マクラーレンに移籍した2021年は、シーズン序盤から入賞を続けていたものの、マクラーレンのマシン特性と自身のドライビングスタイルを合わせようと苦戦していた。だがシーズン後半のイタリアGPでは決勝レースをフロントロウからスタートして首位に上がり、移籍後の初優勝を飾った。この勝利は自身にとって3年ぶり、マクラーレンにとっては2012年ブラジルGP以来のものだった。
2022年はシーズン序盤から低迷。マクラーレンとの契約は3年だったが、リカルドとマクラーレンの双方の合意のもとで、1年早く契約を解除することになった。2023年は古巣レッドブルでサードドライバーを務めることになり、シミュレーター作業を行ったり、タイヤテストに参加した。7月にはアルファタウリがニック・デ・フリースとの契約を解除したため、第12戦ハンガリーGPからリカルドがアルファタウリAT04のステアリングを握ることになった。 だが復帰後3戦目のオランダGPの初日、フリー走行でクラッシュを喫したリカルドは左手の中手骨を骨折し、戦線離脱を余儀なくされた。リカルドはアメリカGPで復帰し、続くメキシコGPでは予選4番手と、アップデートでマシンのパフォーマンスを改善させたアルファタウリの期待に応えた。
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