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F1 | ピエール・ガスリー(Pierre Gasly) 2024年

ピエール・ガスリー(Pierre Gasly) 2024年

フランス / BWTアルピーヌF1チーム /

ゼッケンNo. :10

●国籍:フランス
●生年月日:1996年2月7日(28歳)
●身長/体重:177㎝/68㎏

ピエール・ガスリー関連ニュースまとめ

2023年成績
●出走:22回
●優勝:0回
●表彰台:1回
●入賞:11回
●完走:21回
●PP:0回
●ドライバーズランキング:11位/62ポイント

通算成績
●F1デビュー:2017年第15戦マレーシアGP
●在籍チーム:トロロッソ(2017年マレーシアGP~日本GP、メキシコGP~18年)→レッドブル(2019年オーストラリアGP~ハンガリーGP)→トロロッソ(2019年ベルギーGP~)/アルファタウリ(2020年〜22年)→アルピーヌ(2023年〜)
●出走:130回
●優勝:1回
●PP:0回
●表彰台:4回
●ドライバーズ選手権最上位:7位(2019年/トロロッソ、レッドブル)

■ピエール・ガスリー プロフィール

 幼いころはサッカーに興じていた。当時の憧れは、元フランス代表で1998年の自国開催でワールドカップ初優勝に導き、ユベントスやレアル・マドリードなどの名門クラブでも活躍したジネディーヌ・ジダン。

 エステバン・オコンと幼なじみであり、彼の父が息子のカートに乗るよう勧めてくれたのがモータースポーツに触れるきっかけとなった。

 カートの競技開始は9歳のとき。フランスの年齢別国内選手権を経たあと、2009年に13歳で国際舞台に立つ。1年目でKF3クラスのワールドカップ3位となったことから、フランス・モータースポーツ連盟(FFSA)のエリートアカデミーに選抜される。以降、レース活動にはその経済的支援が得られた。

 10年のヨーロッパ選手権2位で、カートは卒業。11年からフォーミュラ進出を果たす。1年目はフランスF4に参戦、14戦で4勝を挙げてランキング3位。フォーミュラ・ルノーにステップアップした12年は、ユーロカップと北ヨーロピアンカップ(NEC)の2シリーズに参戦した。

 だがランキング上位には食い込めず、翌13年はチームを移籍。主戦場となったユーロカップの2年目で3勝8回の表彰台、1度のリタイアを除けば全戦入賞のコンスタントぶりもあって、史上最年少王者となる。

 14年からはレッドブル・ジュニアチーム入りし、より大きな排気量のフォーミュラ・ルノー3.5に参戦。優勝こそなかったものの8度の表彰台で、カルロス・サインツJr.に次ぐランキング2位となった。この年の途中からはF1直下のカテゴリーであるGP2(現FIA F2)でも走り始め、入賞ならずも6レースを経験した。

 15年はチームを変えて、GP2に本格参戦。4度の表彰台はあったが、ランキング8位で終えた。9月には、レッドブルから(トロロッソを含む)リザーブドライバーに指名される。

 16年はまたチームを移籍して、GP2フル参戦の2年目。アントニオ・ジョビナッツィがチームメイトだった。開幕戦カタルーニャを連続表彰台でシーズンを滑り出し、直前に一般道の事故で負傷を抱えながらも第5戦シルバーストンのレース1で初優勝。その後車検違反で失格騒ぎなどもありながら、計4勝を挙げてシリーズチャンピオンとなる。F1進出の資格はこのGP2タイトルで得られたわけだが、トロロッソのシートに空席が出ず、17年はレッドブルの支援を受けて日本のスーパーフォーミュラ参戦。第4戦もてぎで初優勝を果たすと、続くオートポリスにも勝ち、首位に0.5ポイント差ランキング2位で最終戦を迎える。

 その最終戦を迎える以前、ついにF1への扉が開いた。ダニール・クビアトの不振に見切りをつけたレッドブルがトロロッソのラインナップから外すことを発表。第15戦のマレーシアと16戦鈴鹿で、ガスリーがドライブすることが決まった。カーナンバーは10を選択、子どものころに憧れたジダンの代名詞となる番号だ。

 入賞圏外ではあったが、F1デビューから2戦連続の完走。ただ次戦オースティンはタイトルが懸かるスーパーフォーミュラの最終戦と日程が重なり、その去就に注目が集まる。スーパーフォーミュラ出走を選択した本人とレッドブルだったが、台風の接近によってレース開催が中止。逆転王座はならず、ルーキーオブザイヤーの獲得に留まる。その後ふたたびF1に戻り、シーズン最後まで3戦を手堅く完走した。

 仕事ぶりは評価され、翌18年はトロロッソのレギュラーに昇格。緒戦こそパワーユニット関連のトラブルに見舞われてF1初のリタイアに終わるが、第2戦バーレーンでは予選6番手をマークする。上位車の降格ペナルティで、レースは5番グリッドからスタート。レッドブルが全滅し、フェラーリ1台がリタイアする波乱のなか、ガスリーは4位でフィニッシュした。自身の初入賞達成とともに、この年からチームと組んだホンダに14年のF1復帰以来、最高順位(当時)をプレゼントする。

 これを含めてF1最初のフルシーズンは入賞5回、ドライバーズランキング15位。夏にダニエル・リカルドのレッドブル19年離脱が決まると、その後継に指名を受ける。

 しかしながらレッドブル移籍の19年は、チームメイトのマックス・フェルスタッペンにパフォーマンス面で大差をつけられた。第12戦終了後のサマーブレーク期間中にレッドブルからトロロッソへの降格がアナウンスされる。

 トロロッソに復帰してからは状態は上向き、20年残留が決まると、次の開催となった第20戦ブラジル。ガスリーは予選でトップ3チーム6台に次ぐ、予選7番手のタイムをマークした。予選上位車へのペナルティで、レースは6番グリッドからのスタート。力強いペースを維持して迎えた終盤、レース残り2周でセーフティカーラン明けの混乱に乗じて、2番手浮上を果たす。そのままメルセデスのルイス・ハミルトンからの猛攻をしのぎ切り、自身初となるF1表彰台を獲得。フェルスタッペンとの間で、1991年以来となるホンダ勢1-2を達成した。

 トロロッソからアルファタウリへとコンストラクター名が変わった2020年、ガスリーはチームメイトのダニール・クビアトを上回る勢いを見せた。第7戦ベルギーGPではタイヤ交換後に最後尾まで順位を落とすが、ガスリーはそこから猛追し8位でフィニッシュ。

 第8戦イタリアGPでは、タイヤ交換直後にセーフティカーが出動するなどの幸運が重なり、赤旗中断後にはトップへ浮上。最後は2番手のカルロス・サインツJr.との接戦となったが、ガスリーがトップを守り切ってF1初優勝を飾った。前身のトロロッソ時代も含めてチームにとって12年ぶりの勝利であり、またアルファタウリとホンダがタッグを組んで50戦目の節目のレースでの優勝となった。ちなみに、フランス人ドライバーの勝利はオリビエ・パニス以来24年ぶり。

 好調をキープするガスリーは2021年に再びレッドブルへ昇格するのではないかという噂も流れたが、結局はアルファタウリ・ホンダに残留することが決まった。その2021年は、第2戦以降着実に入賞を重ね、第6戦アゼルバイジャンGPで3位表彰台を獲得。シーズンを通して15回の入賞を記録しランキング9位となった。

 2022年はAT04のマシンパフォーマンスが振るわず、厳しい1年を過ごした。入賞は6回、獲得ポイントは23で、ベストリザルトはアゼルバイジャンGPでの5位だった。6月には2023年もアルファタウリに残留することが発表されていたが、フェルナンド・アロンソとオスカー・ピアストリを失ったアルピーヌがガスリーの獲得を狙っているという噂が流れ始めた。レッドブルが5月にセルジオ・ペレスとの契約延長を発表したこともあり、ガスリーは少なくともこの先2年間はレッドへの再昇格ができない状況にあったのだ。そして10月の日本GPの週末に、アルピーヌへの移籍が発表された。

 アルピーヌF1での1年目、ガスリーは11回の入賞を記録。オランダGPでは3位に入賞し、移籍後初となる表彰台を獲得した。同郷のチームメイトであるエステバン・オコンとは対照的にリタイアは1回で、ドライバーズ選手権でもオコンをひとつ上回る11位でシーズンを終えた。

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