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MotoGP | バレンティーノ・ロッシ 2020年

バレンティーノ・ロッシ 2020年

イタリア / モンスターエナジー・ヤマハMotoGP /

ゼッケンNo. :46

●国籍:イタリア
●生年月日:1979年2月16日

バレンティーノ・ロッシ プロフィール
 バレンティーノ・ロッシ(モンスターエナジー・ヤマハMotoGP)はイタリア ウルビーノのタヴッリアで育った。1979年生まれの41歳。MotoGPにおける最年長ライダーである。父はロードレース世界選手権ライダーだったグラツィアーノ・ロッシ。2020年シーズン、Moto2クラスに参戦しているルカ・マリーニ(SKY Racing Team VR46)は異父弟にあたる。

 ロッシは幼いころからゴーカートに乗り、やがてミニバイクに進んだ。1995年にはイタリア選手権125ccクラスでチャンピオンを獲得、ヨーロッパ選手権125ccクラスではランキング3位を獲得すると、翌年からロードレース世界選手権への参戦を開始する。

 1996年シーズン、ロッシはロードレース世界選手権125ccクラスデビューを飾った。ルーキーイヤーは1勝と3位表彰台を1度獲得してランキング9位。1997年シーズンには15戦中11勝を挙げて125ccクラスのチャンピオンに輝く。翌1998年シーズンからは250ccクラスにステップアップ。ロッシはこのクラスでも頭角を現し、1年目はランキング2位、2年目の1999年シーズンにはタイトルを手にした。

 2000年シーズン、ロッシは最高峰クラスに昇格を果たす。この当時、ロードレース世界選手権の最高峰クラスは2ストローク500ccマシンで争われており、ロッシはホンダNSR500によって500ccクラスデビューを飾った。この年ロッシは、ルーキーイヤーにしてシーズン後半に2勝を挙げ、ランキング2位を獲得している。

 翌2001年シーズン、ロッシは16戦中11勝を挙げて最高峰クラスのチャンピオンを獲得する。2001年は2ストローク500ccマシンのみで争われた最後のシーズンで、ロッシは500ccクラス最後のチャンピオンとなったのである。

 2002年シーズンからは4ストローク990ccのMotoGPクラスがスタートし、2ストローク500ccマシンとの混走で争われた。また、選手権の名称もMotoGPになっている。ホンダの4ストローク990ccマシンRC211Vを駆るロッシは、16戦中11勝を挙げてMotoGPクラス最初の王者となり、ロッシは125ccクラス、250ccクラス、500ccクラス、そしてMotoGPクラスでタイトルを獲得したライダーとなった。

 2002年、2003年シーズンをホンダで連覇したロッシだったが、2004年シーズンにヤマハへの移籍を決断。ホンダRC211VからヤマハYZR-M1に乗り替えた。移籍後初レースとなった開幕戦南アフリカGPで優勝を飾ると、16戦中9勝を挙げてチャンピオンを獲得。ヤマハに12年ぶりのタイトルをもたらした。ロッシは続く2005年シーズンもタイトルを手にし、最高峰クラス5連覇を達成した。

 2005年シーズンまで連覇を続けていたロッシだったが、2006年にはホンダのニッキー・ヘイデン、2007年にはドゥカティのケーシー・ストーナーにタイトルを譲ることになる。2008年にはチームメイトにホルヘ・ロレンソが加入。次第に若手ライダーの台頭が激しくなり始めていた。しかしそんななか、2008年シーズン、ロッシは18戦中9勝を挙げて2005年以来のタイトルを奪還。翌2009年シーズンも連覇を果たすと、最高峰クラスで7度目、世界選手権通算9度目のチャンピオンを獲得した。

 ロッシにとって、2010年シーズン第4戦イタリアGPは一つの転機になったと言えるだろう。フリー走行で転倒を喫したロッシは右足を骨折。イタリアGPの決勝レースを含む4戦を欠場することになる。ロッシはこのシーズンをランキング3位で終え、チームメイトであり、最高峰クラス3シーズン目だったホルヘ・ロレンソがタイトルを獲得。そして、ロッシはこのシーズン限りでヤマハを離れ、ドゥカティへ移籍した。

 ドゥカティから参戦した2011年、2012年シーズンは苦戦が続いた。2シーズンで3度の表彰台を獲得するにとどまった。ロッシは2013年シーズンより、ヤマハに舞い戻ることを決定した。

 2013年シーズン、ヤマハに移籍したロッシ。この年、マルク・マルケス(現レプソル・ホンダ・チーム)が最高峰クラスデビューを果たしていた。ロッシはオランダGPで1勝を挙げてランキング4位を獲得。また、シーズンの終わりに、チーフメカニック、ジェレミー・バージェスとのパートナシップを解消することを発表した。バージェスは、ロッシが最高峰クラスに昇格した2000年より彼のチーフメカニックを務めてきた人物だった。

 新たにシルヴァーノ・ガルブゼラをチーフメカニックに迎え、ロッシは2014年シーズン、ランキング2位を獲得。続く2015年シーズンは開幕戦カタールGPで優勝。チームメイトのロレンソとともにシーズン終盤まで接戦のチャンピオン争いを展開した。しかし、第17戦マレーシアGPの決勝レース中、ロッシとホンダのマルケスが接触して、マルケスが転倒リタイアとなる。この接触がペナルティの対象となり、結果的に最終戦バレンシアGPを最後尾からスタートすることになった。ロッシは4位まで追い上げたが、優勝したロレンソがチャンピオンを獲得。この一連の出来事は、ロッシとマルケスとの間に遺恨を生んだ。

 2017年シーズンは、ロレンソがドゥカティへと移籍。ロッシのチームメイトにはマーベリック・ビニャーレスが迎えられた。ロッシは2017年シーズンランキング5位、2018年シーズンはランキング3位、そして2019年シーズンはランキング7位で終えている。

 そして2020年シーズン開幕前、ヤマハはいち早く2021年シーズンの体制を発表した。ヤマハのファクトリーチームは、マーベリック・ビニャーレスを継続起用、そして新たにファビオ・クアルタラロを迎えるという。クアルタラロは2019年シーズン、ヤマハのサテライトチームからMotoGPクラスデビューを飾り、マルケスを相手に何度も接戦を繰り広げ、その実力を知らしめていた。同時に、ロッシはファクトリーチームの布陣から外れることが明らかとなったのだ。

 ロッシは自身の去就について、2020年シーズン中盤には将来についての決断を下すという。ヤマハはロッシが2021年シーズン以降も現役を続行する場合、ファクトリーマシンであるヤマハYZR-M1の提供と技術サポートを明言している。

 2020年シーズン、ロッシはチーフメカニックをガルブゼラからダビド・ムニョスに変更する。ムニョスはロッシが所有するチームであるSKY Racing Team VR46のチーフメカニックを務めていた人物である。依然として世界中のファンを魅了し続け、絶大な人気を誇るロッシ。2020年シーズン、ロッシが最も注目を集めるライダーのひとりであることは間違いない。

(TEXT:Eri Ito)

■MotoGP通算戦績
初戦:2000年南アフリカGP
初ポールポジション:2001年南アフリカGP
初ファステストラップ:2000年南アフリカGP
初表彰台:2000年スペインGP
初勝利:2000年イギリスGP
優勝:89
2位表彰台:61
3位表彰台:48
表彰台:198
ポールポジション:55
決勝ファステストラップ:76

■MotoGP:2019年シーズン戦績
出場:19回
優勝:0回
2位:2回
3位:0回
ポールポジション:0回
バイク:Yamaha
獲得ポイント:174
ランキング:7位

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