投稿日: 2019.05.25 07:30
更新日: 2023.02.16 12:31
更新日: 2023.02.16 12:31
ヘルムート・マルコ、旧友ラウダの死を悼む。「彼とは多くの出来事を分かち合ってきた」
autosport web
Translation: AKARAG
「苦い思いや妬む気持ちはなかった。最初の頃はあったかもしれないが、論理的に考えて『私は状況を変えることはできないのだし、この方が良いのだ。それに相手はニキだ』ということに気がついた」
「その時からずっと、我々は常になんらかの形で連絡を取り合ってきた」
ラウダのモータースポーツにおける並外れた業績は詳細に記録されている。一方マルコは、1991年にタイで起きた痛ましいラウダ航空機墜落事故の際のラウダの姿勢と対処の仕方に敬意を持ってる。この事故で航空機製造会社のボーイングは、不当にもラウダ航空のパイロットに責任があるとしていた。
「彼はボーイングのような世界的企業を相手に、事故の原因は彼の会社でもパイロットでもなく、設計上の欠陥にあったことを証明したのだ」とマルコは語った。
ラウダとマルコがパドックで一緒に過ごす場面や、互いのホスピタリティ施設で親しく会話をしている場面はしばしば目撃されていた。
「我々は毎回のグランプリで朝食をともにした」とマルコは振り返った。
「我々は狭量な考え方ではなく、枠を超えたものの見方をしていた。我々にとって常に最も重要なことは、このスポーツの魅力だった」
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