不死鳥と呼ばれた男「ニキ・ラウダ」が黙示した近代F1の王者像
──先ほど、たくさんの思い出があふれ出たと言われましたが、その中のひとつを聞かせてもらえますか。
「ニキがフェラーリから契約をオファーされた時、一緒にマラネロへ行ってくれないかと頼まれた。すでに引退していた私はその役目を引き受けて彼とイタリアへ向かったのだが、出発前にオーストリアの放送局ORFの人からエンツォ・フェラーリのインタビューを頼まれ、テープレコーダーを渡されていた。今ではあり得ないことだがね。イタリアへのドライブの途中、私たちは何度かテープレコーダーの操作の練習をした。肝心な場面でボタンを押し間違えたりしたくなかったからだ」
「マラネロに到着すると、私たちはエンツォのオフィスに通された。とても暗くて、地下墓地のようだった。やがてエンツォが現れ、あのしわがれた声で私たちを歓迎してくれた。道中の車内でニキと私はマラネロでは契約内容の交渉をするのだろうと想像していたが、実際にはそういったことは一切なかった。彼はただ、こう言った。『条件はここに書いてあるとおり。これで契約してもらう』。私たちは唖然としながらも、インタビューを録音させてもらいたいと申し出た。そして、いざテープを回そうとした時、テープレコーダーの電池が切れていることに気づいた。道中の練習で電池を使い切っていたんだ!」
「エンツォは短気なことで知られていたから、いつ彼が怒り出しても不思議はなかった。しかし、意外にも彼はとても落ち着いていて、機嫌が良さそうだった。ともあれ、私たちは急いで電池を交換し、無事にインタビューをテープに収めた。こうして、ニキはフェラーリのドライバーになった」
──ニキがエンツォにフェラーリを辞めると伝えた時にも、あなたと一緒だったというのは本当ですか。
「ああ、本当だ。あの時もニキから電話があり、『これからマラネロへ飛んで、オールドマンにチームを辞めると伝えに行く』と言われた。どうやら彼は最初の契約の時にも私が同席したのだから、最後も付き合うべきだと考えたらしい。時代は少しばかり変わっていて、私たちは飛行機でイタリアへ行った。空港にはフィアットの大きな社用車が迎えに来ていて、そのままエンツォがよく利用していた有名なレストランへ連れていかれた。さすがに一般の客と一緒に店内で話すわけにはいかず、ニキとエンツォは奥の個室に入った。店内にはいつもの音楽が流れ、人々が陽気に話をしながら食事を楽しんでいた。イタリアのレストランの典型的な風景だった」
「だが、間もなく奥の方からエンツォの声がどんどん大きくなるのが聞こえ、その尋常ではない雰囲気に店内の客は、みんな食事の手を止めてじっとしていた。すると、エンツォが顔を真っ赤にして個室から飛び出してきて、少し間を置いて出てきたニキに『終わったよ。帰ろう』と言われたんだ。しかし、私たちを送ってきたクルマとドライバーはもういなかったし、ファクトリーの電話を借りてタクシーを呼ぶことも拒否された。仕方がないので、私たちは外に出て公衆電話を探した。ニキはイタリアでは有名人で、まだ誰も彼がフェラーリを辞めたことは知らなかったから、近くにいた人がリラの小銭を借してくれた。私たちはそれを使ってタクシーを呼び、何とか家に帰れたんだ」
──その時のニキの様子はどうでしたか。
「ニキは満足感を味わっていた。あのニュルブルクリンクでのクラッシュの後、フェラーリは彼の回復にどれくらいかかるか様子を見ようともせずに、すぐにカルロス(ロイテマン)と契約した。ニキはそれを忘れることができなかった。彼は人並外れて率直で、単刀直入であると同時に、ものすごく義理堅い人物でもある。それだけに、フェラーリのやり方がどうしても許せなかったんだ。帰り道のニキは、ずっと不機嫌だった。フェラーリのドライバーがクビになるのではなく、自分から辞めるというのは、ほかにはあまり例がない。彼としては、してやったりという気分だったと思う」
■ビルジットとの出会い
──ニキはおそらくドライバーとしては初めて、トレーニングや健康的な食事を真剣に考えた人でした。
「当時はテストもあまりなかったし、特別な準備をするドライバーもいなかった。多くの場合、チームはいきなりサーキットへ行き、レースに向けて仕事に取りかかった。それだけだったんだ。だが、ニキはF1を分析的に考え、トレーナーのウイリー・ダングルに協力を求めた。より体力があって健康な人間になれば、それだけ速いドライバーになれるというのがニキの出した結論だった。そして、彼はその考え方に沿って生活をするようになった」
──そのほかの面では、どんな人物だったのでしょうか。
「彼は自己中心的ではあったものの、“がめつい締り屋のビジネスマン”という役柄を好んで演じているようなところがあった。けれども、実際には善良で物惜しみしない人だったね。私の目から見てニキは、最後の妻になったビルジットと出会ったことで大きく変わった。それまではあまり感じたことのなかった、思いやりの深さが目立ってきたんだ。彼は自分の目標の実現を、あらゆることに優先させて生きていた。しかし、ビルジットとの間に双子が生まれると人柄が丸くなり、家族を何よりも大事にするようになった」
「いつも感心させられたのは、ニキが約束は必ず守ったこと、そしてたとえ誰かの気分を害することになっても構わずに本音を語ったことだ。彼は両足をしっかりと地に着けた、本当にユニークな人だった。このF1の世界でニキに似た人柄、あのユーモアのセンス、あれほどの率直さを持った人には一度も出会ったことがない。彼は友情という概念の理解が人とは少し違っていて、少なくとも外面的には人とつながりたくないかのような印象を与えていた。ニキと私の間では死について、例えばどちらが先にこの世を去るかといった話をすることもよくあった。あれほど長い間、病床に伏したまま過ごすというのは、彼のような人物には似合わないことだった」
「ニキは多大な成功を収めたレーシングドライバーであり、ビジネスマンであっただけではなく、人々を一致団結させる能力にも優れていた。その業績は誰もが知っているところだが、彼が並外れた勇気を持ってどんな障害を克服してきたかを知れば、その価値はひときわ輝いて見えるだろう。そうしたことのすべてが、偉大なカリスマ性を持ったひとりの人物を作り不げた。ニキを失ったことでできた大きな穴は、誰にも埋められない。それはオーストリアばかりでなく、F1グランプリ全体について言えることだ」
──あなたたちがいつも一緒に朝食を摂っていたことは、F1のパドックではよく知られていました。
「ちょっとした儀式のようなものだった。私たちはそれぞれレッドブルとメルセデスに属し、コース不ではライバル同士だったが、いつもF1全体のことを考えていた。良からぬ取引の密談をしていたわけではない。私たちにとってモーターレーシングはいかに魅力的か、ということが主な話題だった。ニキは素晴らしい友人であり、一生の大半を共にした仲間であり、本当にユニークな人だった。彼がいなくなって寂しいよ」
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