更新日: 2020.04.24 18:11
F1 Topic:開幕後の現地取材は禁止か。テレワーク普及後も残る報道の難しさ/レース再開への課題(5)
4月22日と23日にフェラーリとイギリスのメディアとの間に起きた誤解も、外出自粛期間中の取材で起きた典型的な事故だったと言ってもいいだろう。
問題となったのは、イギリスの全国紙『ガーディアン』が4月22日付けで出した記事だった。内容は4月16日(木)にすでに決定している2021年に導入予定の新しい予算制限の上限を、さらに引き下げるための話し合いの内容についてだった。
当初の予定では2021年は1億7500万ドル(約188億円)となつていたが、世界的なコロナウイルス危機のなか、F1は景気後退に直面しており、これをさらに1億5000万ドル(約162億円)以下に引き下げようとしたが、トップチームが反対。そのひとつがフェラーリだったため、ガーディアン紙の記者がフェラーリのマディア・ビノット代表にインタビューを申し込み、そのコメントを元に記事が作られていた。
その内容は、要約すれば「これ以上予算が削減されれば、人員カットというさらに大きな大きな犠牲を強いられる。我々はレースがDNAであるため、他のオプションを検討するようなことはしたくない」とビノットが語ったことになっている。さらに「F1はテクノロジーとパフォーマンスの点でモータースポーツの頂点でなければならない。自動車メーカーにとって、この最も権威のあるカテゴリーは魅力的なものでなければならない」とも付け加えている。
これだけなら、問題にはならなかった。問題となったのは、その見出しだった。
「予算制限がさらに課された場合、フェラーリはF1の将来を再評価しなければならないだろうとビノットが警告」(Ferrari to evaluate F1 future if budget cap imposed, warns Binotto/原文)
4月23日、フェラーリは広報を通じて、「ガーディアン紙の見出しに乗っていたようなコメントを、ビノットは語っていない」と正式に否定した。
問題は、「予算制限がさらに課された場合、フェラーリはF1の将来を再評価しなければならないだろう」ということをビノットが語ったかのような見出しになっていることだった。もし、見出しがビノットが語った形ではなく、インタビューしたガーディアン紙が「予算制限がさらに課された場合、フェラーリはF1の将来を再評価するかもしれない」と感じたというものであれば、問題はなかっただろう。
現状を考えると、取材は電話かテレビ会議システムが使われ、記事を書いた記者とその記事をまとめる新聞社のデスク(編集を統括する人)もまたテレワークで作業していた可能性が高い。そうなると、どうしても意思の疎通に欠け、確認作業が疎かになる。今回の一件も、決して新聞社側が故意に犯したものではなく、外出自粛が長引きながらも記事を作り続けなければならないなかで起きた悲劇だったのではないか。
そして、この状況がさらに長引き、取材ができない状況の中でF1が再開されたとき、その悲劇は再び繰り返されないとも限らない。そのことをメディアもF1側も覚悟したうえで、レース再開方法を熟考してほしい。
いかに素晴らしいレースであっても、それがきちんとファンに伝わらなければ、F1の魅力もまた伝わらないのだから。