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投稿日: 2021.10.02 08:00
更新日: 2021.10.01 19:49

ビッグスマイルの裏に隠されたリカルドの苦悩。自分のレースクラフトを問い続けた数年間


F1 | ビッグスマイルの裏に隠されたリカルドの苦悩。自分のレースクラフトを問い続けた数年間

 2012年、スクーデリア・トロロッソで初めてのフルシーズンを戦ったリカルドは第4戦バーレーンGPの予選で6番手のタイムを記録。しかし強豪チームに囲まれたスタートで出遅れ、一気に16位まで転落し、挽回することも叶わなかった。失意のなかで1週間考え込んだ後も“バーレーンの失敗”は重くのしかかった。トンネルの出口を示したのは、夏休みだったと言った。

「決して気持ちの良い学び方ではなかったけれど、あの経験は僕に多くを教えてくれた。本当に考えることができたのは夏休みに入り、サーキットから離れたときだった。自分は“必要なだけ”“充分な”リスクを冒していなかったと気づいた。思い切ってリスクを冒したときほど、うまくいっていたじゃないか、と」

 2012年のスパ・フランコルシャンで、リカルドは今年と同じ言葉を口にした。「リフレッシュできた。マシンのフィールが楽しい」──。

2012年F1バーレーンGP ニコ・ヒュルケンベルグと争うダニエル・リカルド
2012年F1バーレーンGP ニコ・ヒュルケンベルグと争うダニエル・リカルド

 レッドブルに昇格して初優勝を飾り、セバスチャン・ベッテルを上回った後、何に関してもアグレッシブなフェルスタッペンをチームメイトに迎えると、洗練されたドライビング、オーバーテイクの技に支えられたクリーンなレースが武器となった。しかし挑戦を決意しルノーに移籍してからは、チームを率いて軌道に載せることが大切で、自らの野生を解放する機会が減少した。

 マクラーレンに来てランド・ノリスの自由奔放な走りを目にしたとき、リカルドはきっと、これまで自分が歩んできた道に疑問を抱いたことだろう。2012年とはレベルが違う。だからこそ、答えを見出すにはなおさらパドックから離れることが必要だった。外からの“入力”に対して驚くほど敏感なドライバーは、笑顔のまま、消化しきれない多くの課題を抱え込んでいた。

 コロナ禍に見舞われて以来、ゼロ・コロナ政策を取る母国(オーストラリア)はいっそう遠くなってしまった。「パースで育っただけで僕は恵まれている」とまで言ったドライバーにとって、友達や家族も行き来が遮断された日々は過酷だ。カートを始めたとき「楽しむことだけを優先するんだよ」とアドバイスをくれた父、息子の成長を見守りながら怪我だけを心配していた母は、ともに南イタリアの出身。

「シャルル・ルクレールが2番手にいたときには、フェラーリの1台が表彰台でゴールすると思っていた。それは叶わなかったけど、少なくとも、今日は表彰台にイタリア系の、僕の名前があることを楽しんでほしい」

 ティフォシにイタリア語で感謝を伝え、チームとともに1-2位ゴールを祝った後、少し迷った末、テレビ電話で真夜中のオーストラリアに連絡した。優しい家族は夜明け前の祝杯を挙げていたから、新鮮なままの喜びを共有することができた。

 笑顔に隠されていても、ただ幸福だったパース時代への郷愁はいつもそこにある。幼いころ、一緒にビデオを見ながら父が熱心に語ってくれたアイルトン・セナはもうひとつの郷愁──自分のトロフィーがマクラーレンのファクトリーで同じキャビネットに収まることが、この勝利を“非現実的”にするディテールだと言った。サンパウロの質素なパドックや空気に感激していたリカルドを思い出すと、嘘じゃない。

 勝ってなお、素直な憧れを隠さない。そんなドライバーは、F1をとても素敵なスポーツにしてくれる。

※この記事は本誌『オートスポーツ』No.1561(2021年10月1日発売号)からの転載です。

2021年F1第14戦イタリアGP 表彰台でビッグスマイルを見せるダニエル・リカルド(マクラーレン)
2021年F1第14戦イタリアGP 表彰台でビッグスマイルを見せるダニエル・リカルド(マクラーレン)
auto sport No.1561の詳細はこちら
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