更新日: 2017.08.17 21:15
国内トップフォーミュラ名レース3選第3回:1999年/ツインリンクもてぎ20周年企画
道上とチームにとっては望外のトップランが実現した。マシンも確実に速くなってきている。とはいえ、生来のポテンシャルで大きく上回るレイナード勢が後ろにいるのだから、やがて防戦一方になって、そう遠くない段階で首位を譲り渡すことになるのだろう……というのが多くの者の率直な思いだった。
しかし、その予想はいい意味で裏切られる。道上はトップを維持したまま後半戦まで走り続けたのである。優勝の期待さえもが次第に膨らんできた。
しかし、2番手を走るレイナードの本山哲(チームルマン)にも、このまま2位でよしとすることはできない事情があった。
前年に初王座を獲得、連覇を目指したこの年の本山はシーズン序盤を1位-2位-1位と準パーフェクトの成績で滑り出したものの、中盤に失速し、トム・コロネル(ナカジマレーシング)の後塵を拝す展開を強いられていた。
前戦終了段階でポイントランク首位のコロネルに10点のリードを許しており、このもてぎを含めて残り2戦、本山は崖っぷちの状況(当時は決勝1~6位に10-6-4-3-2-1点)。もてぎではコロネルより前を走っているとはいえ、優勝できなければ大きく差を詰めることはできず、最終戦鈴鹿にかなり不利な状態で向かうことになる。前を走る道上をこのまま逃すわけにはいかない。
レース後半、本山がペースアップし、首位奪取の動きに転じた。そして45周レースの30周目、ダウンヒルストレートの先、90度コーナーで本山は道上をパスする。
満を持してチャンスを待っていたかのような本山。一方の道上にはこの好走を結果につなげたいという思いもあったのだろう、マシン的に地力上位である相手に対して必要以上の抵抗はしなかったように思えた。
当時の両者を取り巻く様々な状況を考えた時、この首位交代劇には見た目以上の深い意味と重い価値があったといえる。
首位に立った本山は6戦ぶりのシーズン3勝目を挙げ、最終戦に自力逆転王座の可能性を復活させた。そして道上は2位を守って走りきり、ローラでは奇跡的ともいえる好結果をチームに持ち帰った。
当時28歳の本山と26歳の道上。この先、長く日本レース界を牽引し、今も現役としてスーパーGTやWTCCという第一線で活躍している両雄が若き日に見せた、もてぎフォーミュラ名勝負であった。
本山はこれがもてぎでのFN初優勝。前年6月、そしてこの99年5月のレースではともに2位に甘んじていただけに、その意味でも雪辱の1勝だった。
彼はこの年、最終的にはFN王座連覇ならなかったが(最終戦ではスタート直後にコロネルと本山が接触)、そののち2001、2003、2005年と3つの王冠を自身のキャリアに加える。その3度の復冠地は、いずれもツインリンクもてぎだった。