更新日: 2019.11.06 20:48
スーパーGT GT300に挑み続ける名門チーム『apr』、その礎となった名車ガライヤ誕生秘話
ガライヤの開発に取りかかっている頃、金曽をはじめ、新田や高木も含めたaprのスタッフたちが赴いたのはル・マン24時間レース。アウディR8とベントレー・スピード8が戦っている時だった。
「ガライヤの最終目標はル・マンだったんですよ。最初にクルマを作りましょう、コンセプトを話し合いましょうって時に鈴木亜久里さんがそういう話をして。だから僕らはル・マンで、設営の頃からずっとベントレーのピットの前でクルマを見て、バシャバシャ写真を撮っていました。最後はつまみ出されたぐらい(笑)」
「そうしたらあのクルマはメインモノコック、フロントセクション、リヤというふうにブロックで設計していたんです。だからガライヤもそういう設計にしたんです」
そんな工夫を織り込みながら出来上がった最初のガライヤとはどんなクルマだったのだろうか。
「フレームをノーマルで作っていたらクロモリ(クロームモリブデン)だらけになってしまって、出来上がった時点で最低重量ぐらいになってしまった。本当は軽く作ってバラストを積みたかったのに、です。初年度に苦労したのはエンジンですね。リヤミッドシップに搭載しているので冷却がキツく、最初はルーバーとかダクトだらけでした」
デビュー年には盛り込めなかったアイデアを2年目は取り入れた。バネ下重量を軽くして、さらにコーナリング性能の向上を目指した。3年目にはモノコックの軽量化にも取り組んだ。だがこの3年目を終えて、ガライヤの活動は一旦終了することになってしまう。3年間の成績はシリーズ7位、2位、3位。タイトルには手が届かなかった。
(中略)
アペックスから独立してaprを運営してきた金曽にとって、最初に設計したレーシングカーはMR‐S。その後ガライヤやカローラ・アクシオ、プリウスなど何台ものレーシングカーを手がけている。その中でガライヤとは一体どんな存在だったのだろうか。
「一番情熱を注いだというか、寝ても覚めてもガライヤでしたね。設計についてのアイデアも次々に浮かびましたし、各レースについても『こうやったら勝てたのに』とか『どうしてあんなミスをしてしまったんだ』とか、頭の中がつねにオレンジ色でした。パフォーマンスでは負けていなかったと思いますし、強くて、速くて、“記録よりも記憶に残ったクルマ”じゃないですか?」
* * * * * *
レーシングオン No.503「GT300」特集号
オールカラー132P(トールケース入りDVD付録付き)
価格:本体1800円+税