スーパーGTを戦うJAF-GT見たさに来日してしまうほどのレース好きで数多くのレースを取材しているイギリス人モータースポーツジャーナリストのサム・コリンズが、その取材活動のなかで記憶に残ったレースを当時の思い出とともに振り返ります。
今回は1.6リッターV6ターボ時代の幕開けとなった2014年のF1オーストラリアGP。新たなパワーユニット導入でトラブルも多発したなか、レース結果はコリンズの予想とは大きく異なったものとなりました。
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私はレース内容やドライバーについてよりも、主にマシンのエンジニアリングとテクノロジーについて記事を書いているため、F1開幕戦が行われるオーストラリアに行くことはない。その代わり、ウインターテストのためにスペインに2週間かそれ以上滞在する。
シーズンの初めの数戦、チームは私を含む部外者に対して技術的な情報を共有したがらない。巧妙な設計要素を長いこと秘密にしておくほど、競争力の点でアドバンテージを長く維持できるためだ。だから開幕戦は家のテレビで観ることにしている。
2014年は異例の年だった。新レギュレーションの施行によってV8エンジンから、現在の1.6リッターのV6パワーユニットに切り替わったからだ。
最初のテストはスペイン南部のヘレス・サーキットで行われ、初日の最初のセッションが始まったとき、私はピットレーンに立っていた。
ルイス・ハミルトンが真っ先にコースに出たとき、トト・ウォルフに「今、あなた方は世界選手権をリードしていますね」と声をかけると、彼は笑いながら「テストではポイントは取れないよ」 と言った。
だが、メルセデスが集団のなかで抜き出ているのは明確だった。彼らのパワーユニットは、フェラーリよりも明らかに優れていたし、ルノーは散々だったからだ。
ルノーのパワーユニットを使用する4チームのうち3チームがマシンを走らせることにさえ苦戦していた。4チーム目のケータハムのマシンは冷却系が強すぎ、見た目もF1マシンのなかでも最も醜いマシンのひとつだった。
レッドブル、トロロッソ、ロータスもマシンを走らせるのに苦戦していた。チャンピオンチームのレッドブルも、しばしば故障し、煙を吐きながらピットに戻って来た。結果、彼らはヘレスでの4日間でたった20周しか走行できなかった。多くのパーツが故障し、パワーユニットを供給するルノーは完全に動揺していた。
その後のバーレーンテストでも、状況はほとんど改善されず、F1サーカスがメルボルンへ向かうにあたって、メルセデスが完全優位に立つと、誰もが予想していた。
そして、2014年のマシンはほとんど魅力がなかった。フロントノーズの構造に関するレギュレーションの文言が不十分だったためで、多くのマシンのフロント部分が突き出ていた。それは男性器にも似ていてとても醜かったのだ。
ロータスは巧みな解決策をとり、対となる2本のフロントノーズを備えていた。一方でフェラーリ、レッドブル、メルセデスはノーズ形状が醜くなることを避けることができたが、それでも見栄えのするレーシングカーではなかった。
最初のテストの間、私はF1メディア全般に対して非常に腹を立てていた。その気持ちはオーストラリアGPに向けてさらに大きくなった。彼らはこれらの新マシンの洗練されたきめ細かいエンジニアリングについて説明する少しの努力をすることもせずに、エンジンサウンドがどれだけ気に入らないかについて取り上げることだけを選んだのだ。
実際、エンジンサウンドに対するメディアの反応は否定的なもので、パワーユニットを従来のメカクローム設計のエンジン(現在のFIA-F2エンジンのベース)に置き換えることが真剣に検討されたりもした。
私のようなエンジニアリングを愛する人間にとって、これは非常に苛だたしいことだった。より知識があるはずの一部のイギリス人ジャーナリストたちは、エンジニアリングがどのようにF1を台無しにしたかということについて記事を書いた。
彼らは、“エンジニアリングがF1をF1足らしめる核心部分”であるという点を見逃していた。エンジニアリングがなければ、ただの退屈なスペックレース選手権になってしまう。
ありがたいことに、日本の『auto sport』だけは例外だった。同誌はマシンのテクノロジーについて割いた記事の量では世界最高だっただろう。モータースポーツにおけるエンジニアリングの重要性に関して、おそらく日本のファンたちはヨーロッパ人よりも優れた情報を得ていると思う。
一般メディアは2014年シーズンの最も興味深い部分を無視しようとしていたが、それでも自分の仕事に需要があることに気づいていた。私はレギュレーション変更について説明する記事を多く書いていた。特に新しいパワーユニットがどのように機能するのか、なぜワークスチームと違う燃料を使用したマクラーレンに注目することが重要なのか、そしてなぜそれが大きな過ちとなる可能性があるのか(実際そうなった)といったことだ。
そのため開幕戦に向けてはかなり忙しかった。また、私は一部の記者仲間に苛立ちを感じていたこともあり、彼らのいるコースに行かなくて済むことを喜んでいた。