更新日: 2024.11.19 15:56
リタイアに終わったTGM GP。小川颯太と佐藤凛太郎「リベンジしたい」/マカオFRワールドカップ
不運に見舞われ、決勝をリタイアで終えた凛太郎は「初めてのクルマ、初めての海外四輪レース、初めてのタイヤ、初めての市街地コースと、初めて尽くしでしたけど、チームの皆さんが頑張ってくださり、僕がクラッシュしてしまった後も徹夜で直してくださったので、本当に感謝しかありません」と、週末全体を振り返った。
予選レースにおいて25番手から16番手までジャンプアップを果たした凛太郎。決勝でのさらなる順位アップに挑んだが、2周目のターン3のアクシデントに巻き込まれるかたちとなり、マカオでの戦いを終えることになった。
「リスボアでクラッシュしたクルマがいたことはわかっていました。避けるべく減速もしていたのですけど、後ろのクルマ(ティアゴ・ロドリゲス/エヴァンスGP)に突っ込まれてしまい、その勢いでクルマが浮き上がり、最初にクラッシュしたクルマ(ウォートン)にぶつかるかたちとなりました」と、凛太郎。
「もし後ろから追突されなければ、そのままレースができたかもしれませんが、これもレースです。中段からスタートするということはこういったリスクもあることなので、仕方がないとも思います」
このアクシデントで赤旗となり、凛太郎もマシンをピットに戻すべくスロー走行を続けた。しかし追突され、2台の車両に挟まれるかたちとなった凛太郎のマシンのダメージはエンジンとギヤボックスにも及んでおり、スロー走行中にエンジンが停止。凛太郎はターン19(メルコ・ヘアピン)から続く下り坂を過ぎて(ターン22)フィッシャーマンズ・ベンドに向かう最中にマシンを止めた。
アクシデントに巻き込まれるという悔しい結果で初のマカオ挑戦を終えた凛太郎は、今回の挑戦が今後に活きると語る。
「狭いコースですからワンミスでクルマを壊してしまうという緊張感が常にありました。ここでの経験はクローズドコースでもすごく役に立つと思います」
そんな凛太郎は、父・佐藤琢磨氏が優勝を果たしているマカオグランプリの勝利を渇望している(父・琢磨氏は1999年の初参戦はサポートレースのエリクソン・フォーミュラ・チャレンジ/アジアンF2000で優勝、2回目からメインレースのF3に挑戦し、2001年にマカオF3グランプリウイナーとなっている)。
「今回はリタイアで終わったので、リベンジしたいですね。父はF2000含めて3回マカオGPに出ているのですが、1999年の初参戦の際にはフリー走行時にターン15(ポリス)で1回クラッシュしているんです。なので、『そこは気をつけて』と言われていましたが……僕も予選Q2でやってしまいました」
偶然か運命か、初参戦では父と同じポリスでのクラッシュを経験してしまった凛太郎。なお、レース直後の悔しさに包まれたなかでの取材となったが、18歳の彼は持ち前の礼儀正しさを崩すことはなく、最後には「予選レースが良かっただけに、決勝のリタイアは悔しいです。でもこの経験は必ず活きてきます。応援してくださったファンの皆さま、スポンサーの皆さま、そして僕に参戦の機会を下さったTGM Grand Prixに心から感謝しています。ありがとうございました!」と、笑顔で感謝の言葉を述べた。
凛太郎にとって今回の経験が活きる日は、そう遠くない未来なのかもしれない。