戻ってきたアメリカのレース。2003年ロンドン・チャンプカー・トロフィー【サム・コリンズの忘れられない1戦】
ブランズハッチに到着した私は人で埋め尽くされたサーキットがどのようなものかを見るのが楽しみだった。当時はブランズハッチで多くの時間を過ごし、何かカーレースをやっていないかと、予定のない週末はいつも足を運んでいた。
ただ、サーキット自体は困難な時期を経ており、BTCC(イギリス・ツーリングカー選手権)を除けば、大観衆が集まることはなかった。しかし、そんななかでも約40,000人の人々がロンドン・チャンプカー・トロフィーだけは観に来ていた。
私はプレスルームではなく、自分の会社のホスピタリティボックスに行った。そこには上層部のマネージャーたちが全員そろっており、私は会社のなかでも一番の下っ端だったせいで気後れしてしていた。もしレースを観ることに興奮していなかったら、緊張していただろう。
私はチャンプカーのレースを生で観たかった。なにせ、夜中のテレビ番組でこのシリーズを初めて観て以来のことだ。このシリーズはイギリスのロッキンガム・サーキットに2回来ていたが、その頃の私は学生だったのでお金がなく、チケットを買う余裕がなかった。今ならお金もあるし、きちんとした仕事についている。まぁ仕事で来ていたおかげでチケットを買う必要はなかったのだが……。
その日はチャンプカーだけではなく、BTCCの2レースも開催された。いつもブランズハッチを盛り上げるレースだ。すべてのレースは短い1.9kmの“インディ・サーキット”で行われた。
1978年にインディカーレースが行われたときと同じレイアウトで、たった1度だけ開催されたレースに敬意を評して命名されたコース名だ。当時のレースはファンには受けが悪く、その年を最後にインディカー(もしくはCART)はこのコースには戻ってきていなかった。
しかしいま、ふたたびアメリカのレースが戻ってきた! なんというレース日和だろう。気温は約摂氏18度でわずかに風が吹く素敵な春の1日だ。その日はブランズハッチで素晴らしいレースが行われる日になる“はず”だった。
私はBTCCを会社のシニアマネージャーのひとりと観戦した。彼は私がレースの大ファンであることを知っていた。同じ部門で働くほとんどの人たちは、ただ仕事としてやっており、モータースポーツのことを本当に気にかけている人はほとんどいなかった。このマネージャーもちょっとしたレースファンであり、彼は私のBTCCとチャンプカーに関する知識に感心していた。
一方で、私がブランズハッチにきて何をやるべきなのか、なぜここにいるのかということは誰も教えてくれていなかった。仕方ないので、ホスピタリティボックスでレースを観て待っていると、BTCCレースを一緒に観ていたマネージャーがチケットを手に私のところへ来ると、忙しいかどうか訪ねてきた。
私はまったく忙しくはなく、ここにはラリー関係者もいないので、自分がここで何を期待されているのか分からないと説明した。すると、マネージャーはこう言った。
「OK。それならこれを持ってピットへ行って楽しんでくるといい」
そう言ってチケットを渡されたが、私はなんのチケットか確認もせず、誰にあげればよいのかを尋ねた。
「それは君のものだよ」
なんとそのチケットは、ペースカーに乗るためのものだったのだ!
![2003年CARTチャンプカーシリーズ第4戦 ロンドン・チャンプカー・トロフィー ポールポジションを獲得したポール・トレーシー(チーム・プレイヤーズ)](https://cdn-image.as-web.jp/2021/01/07135300/asimg_03_dmk0306my74_3e5ff693ac4d4e2-660x440.jpg)
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サム・コリンズ(Sam Collins)
F1のほかWEC世界耐久選手権、GTカーレース、学生フォーミュラなど、幅広いジャンルをカバーするイギリス出身のモータースポーツジャーナリスト。スーパーGTや全日本スーパーフォーミュラ選手権の情報にも精通しており、英語圏向け放送の解説を務めることも。近年はジャーナリストを務めるかたわら、政界にも進出している。