スイス
生年月日 | 1979年10月17日 |
国籍 | フィンランド |
身長 | 175 cm |
体重 | 70 kg |
生年月日 | 1993年12月14日 |
国籍 | イタリア |
身長 | 183 cm |
体重 | 70 kg |
●チーム本拠地:スイス・ヒンウィル
●デビュー:1950年第1戦イギリスGP
●活動年:1910年~
●出走数:131
●勝利数:10(初優勝:1950年第1戦イギリスGP/最新優勝:1951年第8戦スペインGP)
●PP獲得数:12(初PP:1950年第1戦イギリスGP/最新PP:1982年第3戦アメリカ西GP)
●コンストラクターズタイトル:0
●ドライバーズタイトル:2(1950~51年)
2019年F1成績
●PP:0回
●優勝:0回
●FL:0回
●表彰台獲得率:0%
●入賞率:30.95%
●完走率:92.85%
●主要チームスタッフ:
フレデリック・バスール(チーム代表)
ルース・バスクーム(ストラテジーエンジニア)
マーカス・エリクソン(リザーブドライバー兼ブランドアンバサダー)
マイケル・マンリー(FCAグループCEO)
チーム名は2017年『ザウバー』から、18年『アルファロメオ・ザウバー』、19年『アルファロメオ・レーシング』と変遷。シャシーの製造者を表すコンストラクター名は19年に、ザウバーからアルファロメオに改められた。
ただ、アルファロメオがチームを傘下に収めたということではなく、運営はスイスに本拠を置く『ザウバー・モータースポーツAG』。株式の移動やアルファロメオからの運営派遣があるわけでもなく、ザウバーは独立した企業だ。アルファロメオの親会社フィアット・クライスラー・オートモビルズ(FCA)が経営戦略としてまずタイトルスポンサーとなり、さらにその規模拡大でエントリー名までを買い取った。
アルファロメオのモータースポーツでの歴史は古く、エンツォ・フェラーリがチームマネージャーを務めていたことでも知られる。1950年のF1世界選手権制定1年目から参戦し、第1戦に優勝。初代チャンピオンのジュゼッペ・ファリーナ、同51年ファン・マヌエル・ファンジオは、いずれもアルファロメオで王座を獲得している。50~51年は出走したレース13戦で10勝を記録、当時コンストラクターズ選手権はまだ制定されていなかったものの、まさに創成期のチャンピオンカーだった。ところが52年用新車の開発資金を捻出できず、わずか2年で撤退してしまう。
その後、60年代から70年代初頭、アルファロメオ製のエンジンを使って参戦するプライベーターチームはあったが、これらはオフィシャルなものではない。76年にエンジンサプライヤーとして復帰。当時の名門チームのひとつであるブラバム(現在は消滅)と組んで、78年には1勝を挙げた。
その78年限りでブラバムとの関係を解消すると、翌79年からシャシーも自製とし、ワークスチームを復活させる。だが、この活動期間のレース最高位は2位に留まり、85年を最後にチームは撤退。その後、開発の停まったターボエンジンが88年までオゼッラ(現在は消滅)で使われたが、最終の88年にはアルファロメオのバッジは外れ、公式的には87年がサプライヤーとしても撤退の年となる。
そして30年以上が過ぎ、FCAの意向による『アルファロメオ・ブランド』がF1に復活した。
パートナーとなったザウバーは、70年創立。スポーツカーコンストラクターとしてその名を高め、85年にモータースポーツ活動を休止中だったメルセデスから市販車ベースながらエンジン供給を取りつける。翌86年には世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)『ニュルブルクリンク1000km』に優勝。メルセデスからの信頼を高め、ついに88年にはモータースポーツへの公式復帰声明を引き出す。
89年からはWSPCチームを、メルセデスがワークス化。『チーム・ザウバー・メルセデス』となってル・マン24時間レースに勝ち、選手権タイトルも2回手にした。
ザウバーはメルセデスからの打診で、並行してF1への参入計画を開始。91年型を最後に、スポーツプロトの参戦を打ち切る。同年11月、メルセデスのF1ワークス参戦はないとの表明があったが、ザウバーへの全面バックアップは維持された。
93年、ザウバーはF1デビュー戦で5位入賞。当時のカウルには『コンセプト・バイ・メルセデス・ベンツ』の文字が描かれ、蜜月は浮き彫りだった。翌94年には搭載エンジンが、正式にメルセデス名となる。ところが、この年限りでメルセデスは去り、エンジン供給先をマクラーレンに変えた。
95、96年はフォードとワークス契約。初表彰台の獲得もあったが、提携は2年で打ち切られた。その後はフェラーリのカスタマーユーザーとなり、当時スポンサーだったペトロナスをエンジン名として05年までを過ごす。のちのフェラーリ・レギュラーとなるフェリペ・マッサをデビューさせるなど、セカンドチームの役割も担う。
05年6月にはBMWへの売却が決まり、翌06年からワークスチーム化されることになる。4年間を『BMWザウバー』として闘い、08年にはロバート・クビサによるチーム初ポールポジション、初優勝を記録。だが09年でBMWが撤退、創設者ペーター・ザウバーによってチームは買い戻される。
エンジンはふたたびフェラーリとなり、12年鈴鹿では小林可夢偉を3位表彰台に導く。ペーター・ザウバーはその12年で、チーム代表の座を退いた。
14年あたりから財政事情が悪化、チーム成績も一気に下降。16年には共同株主だったスイスの証券会社にオーナー体制が移行され、チームは創設者ペーター・ザウバーの手を完全に離れる。
17年は1度翌18年からのホンダ・パワーユニット(PU)供給が合意とされたが、のちに破談。フェラーリと新契約を結び直してより提携を深め、さらにアルファロメオのスポンサー参入もあって、再度セカンドチームの色彩を強める。18年にデビューさせたシャルル・ルクレールは元々フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA=若手ドライバー育成プログラム)の一員であり、1年のみの在籍で2019年から跳ね馬『昇格』を果たしている。
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