F1 チーム詳細

F1 | マネーグラム・ハースF1チーム 2024年

マネーグラム・ハースF1チーム

アメリカ

●チーム本拠地:アメリカ・カナポリス
●デビュー:2016年第1戦オーストラリアGP
●活動年:2014年~
●出走数:166
●勝利数:0
●PP獲得数:0
●コンストラクターズ・タイトル:0
●ドライバーズ・タイトル:0

●主要チームスタッフ:
ジーン・ハース(創設者&チームオーナー)
小松礼雄(チーム代表)
アンドレア・デ・ゾルド(テクニカルディレクター)
ダミアン・ブレイショー(パフォーマンスディレクター)
ピエトロ・フィッティパルディ(リザーブドライバー)
オリバー・ベアマン(リザーブドライバー)

■ハース プロフィール

 多数の新規ファンが開拓できそうな巨大市場として、F1は常に米国に目を向けている。人気の起爆剤となるのは、やはり地元出身のドライバーであったり、参戦チームだ。そのF1の期待を受け、『ハースF1チーム』は誕生した。

 オーナーのジーン・ハースは、工作機械メーカー『ハース・オートメーション』の経営で知られる。レースとの関わりはまずスポンサーからで、米国トップ人気を誇るストックカーレーシング『NASCAR』の参戦チームをサポートした。だがそれでは飽き足らなくなり、2003年に自前のチーム『ハースCNCレーシング』を設立。同年からNASCARへの参戦を開始する。

 しかし最初の6年間は、下位に埋没した。そこに加わったのが、ドライバーのトニー・スチュワートだ。すでにNASCARで2度の王座経験があった彼は、ハースと並ぶ共同オーナーにも就任し、チーム名は『スチュワート=ハース・レーシング』に改称された。

 翌09年には、すぐさま結果が出た。初優勝を含む4勝を挙げ、一気にトップチームへ駆け上る。11年には、スチュワートが年間王者に就いた。

 この成功によって、ハースは国外にも目を向ける。本業である工作機械の世界的な販売戦略を考えると、シリーズはワールドワイドであれば、あるほどいい。ターゲットはF1で、迷いはなかった。

 14年1月に、F1への参戦意思を表明。同年4月、FIAから15年エントリーの承認を受ける。本拠地はノースカロライナ州のNASCARチームに隣接させ、『ハース・フォーミュラLLC』が設立された。

 参戦準備は慎重を期して行なわれ、当初の15年エントリーから16年に1年遅らせられる。ただ、これまでの米国チームのF1進出を失敗に終わらせたり、阻んできたのは、やはり本場ヨーロッパまでの距離の遠さだ。そのために、英国内にももうひとつ拠点をつくった。

 さらにハースは、知略を張りめぐらせる。フェラーリと交渉し、単にパワーユニット(PU)やギヤボックスの使用に留まらない『包括的』技術提携契約を結んだ。これは規定に抵触しない範囲のパーツであれば、すべてがフェラーリから供給されることを意味する。開発予算の削減を図れる一手だが、同時にフェラーリからの製品であれば相当程度の競争力の計算も成り立つ。

 また、ワンメイクフォーミュラの世界トップシェアを誇る巨大レーシングコンストラクター、ダラーラとも手を結び、シャシー製造を委託する体制とした。モノコックや空力関連で自分たちが設計図を描けば、高度な施設を持つ実績ありのメーカーが製作はやってくれる。ダラーラはイタリアにあり、ロジスティクス面の効果も計り知れない。こうして周到な根回しが進むと、16年からの参戦に正式なゴーサインが出た。

 米国籍のF1チームは、1985~86年に参戦した『チーム・ハース(コンストラクター名はローラ)』以来、実に30年ぶりとなる。なお、このチーム・ハースはCART(現在はインディカーに統一)等で成功を収めたカール・ハースが率いたもので、現ハースとの縁戚関係はない。

 チームのスターティングメンバーには、日本人エンジニアの小松礼雄も名を連ねた。前年ロータス(現ルノー)からの加入でチーフレースエンジニアを務め、現在もディレクター・オブ・エンジニアリングとして在籍している。

 F1が待望した30年ぶり米国チームは、デビューレースの16年開幕戦オーストラリアでロマン・グロージャンが6位入賞。華々しく、スタートを切る。16年の年間コンストラクターズランキングは11チーム中8位で、参戦1年目としては恥じることのない成績だ。

 2年目の17年はランキング8位は変わらなかったが、獲得ポイントを前年29から47に伸ばす。そして18年はクルマをフェラーリの『前年型コピー』と疑惑の目を向けられつつ、獲得ポイントを93にほぼ倍増させランキング5位に躍進。チームは右肩上がりの成長を続けていく。

 ところが、19年はつまずいた。一発の速さはときおり見せたものの、レース中にタイヤを適切な作動温度域に保てない悪癖をシーズン最後まで克服できず。ランキングは過去最低の9位に沈んだ。スポンサーと関係がこじれる問題もあり、壁にぶち当たった1年と言える。

 新型コロナウイルスの感染拡大に影響で2020年前半はレースを行うことができず、財政的にも厳しい状況に陥ったハースは、シーズンを通してマシンのアップデートを行わないことを決定した。

 大幅に競争力を落とした前年からの立て直しを目指すが、20年も厳しいレースが続いた。それでも第3戦ハンガリーGPではフォーメーションラップ中に2台のタイヤ交換を敢行し、レース後にペナルティを受けるもポイントを獲得。第15戦バーレーンGPではスタート直後にグロージャンが大きなクラッシュを喫したが、幸いにも大きなケガはなかった。2021年もチームの立て直しが続くが、その一環でドライバーラインアップを一新。ケビン・マグヌッセンと、チーム創設時から在籍したグロージャンに代わり、7度のF1王者ミハエル・シューマッハーを父に持つミック・シューマッハーと、チームに多額の資金を持ち込んだニキータ・マゼピンというルーキーふたりを起用することになる。

 2021年のハースは、2022年に技術レギュレーションが大幅に変更されることを踏まえてシーズン中のマシン開発を行わず、VF-22の開発に力を注いだ。そのためポイントを獲得できずコンストラクターズ選手権を最下位で終えたが、2022年の飛躍に期待がかかる。ドライバーラインアップはマゼピンとシューマッハーを継続する予定だったが、ロシアのウクライナ軍事侵攻の影響によりウラルカリ、そしてマゼピンとの契約を打ち切った。マゼピンの後任として、2020年までチームに所属していたマグヌッセンが復帰することが決まった。

 2021年にマシン開発に力を注いだことが功を奏し、2022年はチームに復帰したマグヌッセンが開幕戦で5位に入賞するという最高のスタートを切った。マグヌッセンは2戦連続での入賞を果たすが、シューマッハーはシーズン前半に大きなクラッシュを2度経験し、マシンが真っ二つになってしまった。その後シューマッハーはイギリスGPで待望の初入賞を果たすと、その次のオーストリアでも入賞。マグヌッセンもこの2戦でポイントを獲得しており、ハースは2戦連続のダブル入賞を果たした。

 その後は両者ともポイントからは遠ざかったが、ブラジルGPの予選ではウエットからドライに変わる難しいコンディションのなかでマグヌッセンが自身にとってもチームにとっても初となるポールポジションを獲得。結局シーズン後半での入賞は1回にとどまったが、“復活の1年目”となった2022年はコンストラクターズ選手権で8位を獲得した。

 ハースはマグヌッセンと複数年契約を結んでいた一方で、2023年もシューマッハーを起用するかどうかについてはシーズン後半まで決断を下さなかった。最終的にハースは経験のあるドライバーを起用するという方針を決め、ニコ・ヒュルケンベルグとの契約を選択。シートを失ったシューマッハーは、メルセデスのリザーブドライバーに就任した。

 マグヌッセンとヒュルケンベルグのベテランコンビを擁して迎えた2023年、ハースのVF-23は予選一発の速さはあるものの、レースではタイヤのデグラデーション問題を抱えその速さを発揮することができなかった。ハースはシーズンを通してこの問題を解決することができず、コンストラクターズ選手権では12ポイントを獲得しながらも最下位という結果に終わった。シーズン終了後の12月末にはチームオーナーの決断で、ハースF1創設時より組織を率いてきたギュンター・シュタイナー代表がチームを離れ、エンジニアリングディテクターの小松礼雄が新たに代表に就任した。

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