F1 チーム詳細

F1 | ステークF1チーム・キック・ザウバー 2024年

ステークF1チーム・キック・ザウバー

スイス

●チーム本拠地:スイス・ヒンウィル
●デビュー:1993年第1戦南アフリカGP
●活動年:1993〜2005年、2010年〜18年、2024年〜
●出走数:395
●勝利数:0
●PP獲得数:0
●コンストラクターズ・タイトル:0
●ドライバーズ・タイトル:0

●主要チームスタッフ:
アレッサンドロ・アルンニ・ブラービ(チーム代表)
ジェームズ・キー(テクニカルディレクター)
テオ・プルシェール(リザーブドライバー)

■ステーク プロフィール

 チーム名は2017年『ザウバー』から、18年『アルファロメオ・ザウバー』、19年『アルファロメオ・レーシング』と変遷。シャシーの製造者を表すコンストラクター名は19年に、ザウバーからアルファロメオに改められた。

 ただ、アルファロメオがチームを傘下に収めたということではなく、運営はスイスに本拠を置く『ザウバー・モータースポーツAG』。株式の移動やアルファロメオからの運営派遣があるわけでもなく、ザウバーは独立した企業だ。アルファロメオの親会社フィアット・クライスラー・オートモビルズ(FCA)が経営戦略としてまずタイトルスポンサーとなり、さらにその規模拡大でエントリー名までを買い取った。

 アルファロメオのモータースポーツでの歴史は古く、エンツォ・フェラーリがチームマネージャーを務めていたことでも知られる。1950年のF1世界選手権制定1年目から参戦し、第1戦に優勝。初代チャンピオンのジュゼッペ・ファリーナ、同51年ファン・マヌエル・ファンジオは、いずれもアルファロメオで王座を獲得している。50~51年は出走したレース13戦で10勝を記録、当時コンストラクターズ選手権はまだ制定されていなかったものの、まさに創成期のチャンピオンカーだった。ところが52年用新車の開発資金を捻出できず、わずか2年で撤退してしまう。

 その後、60年代から70年代初頭、アルファロメオ製のエンジンを使って参戦するプライベーターチームはあったが、これらはオフィシャルなものではない。76年にエンジンサプライヤーとして復帰。当時の名門チームのひとつであるブラバム(現在は消滅)と組んで、78年には1勝を挙げた。

 その78年限りでブラバムとの関係を解消すると、翌79年からシャシーも自製とし、ワークスチームを復活させる。だが、この活動期間のレース最高位は2位に留まり、85年を最後にチームは撤退。その後、開発の停まったターボエンジンが88年までオゼッラ(現在は消滅)で使われたが、最終の88年にはアルファロメオのバッジは外れ、公式的には87年がサプライヤーとしても撤退の年となる。

 そして30年以上が過ぎ、FCAの意向による『アルファロメオ・ブランド』がF1に復活した。

 パートナーとなったザウバーは、70年創立。スポーツカーコンストラクターとしてその名を高め、85年にモータースポーツ活動を休止中だったメルセデスから市販車ベースながらエンジン供給を取りつける。翌86年には世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)『ニュルブルクリンク1000km』に優勝。メルセデスからの信頼を高め、ついに88年にはモータースポーツへの公式復帰声明を引き出す。

 89年からはWSPCチームを、メルセデスがワークス化。『チーム・ザウバー・メルセデス』となってル・マン24時間レースに勝ち、選手権タイトルも2回手にした。

 ザウバーはメルセデスからの打診で、並行してF1への参入計画を開始。91年型を最後に、スポーツプロトの参戦を打ち切る。同年11月、メルセデスのF1ワークス参戦はないとの表明があったが、ザウバーへの全面バックアップは維持された。

 93年、ザウバーはF1デビュー戦で5位入賞。当時のカウルには『コンセプト・バイ・メルセデス・ベンツ』の文字が描かれ、蜜月は浮き彫りだった。翌94年には搭載エンジンが、正式にメルセデス名となる。ところが、この年限りでメルセデスは去り、エンジン供給先をマクラーレンに変えた。

 95、96年はフォードとワークス契約。初表彰台の獲得もあったが、提携は2年で打ち切られた。その後はフェラーリのカスタマーユーザーとなり、当時スポンサーだったペトロナスをエンジン名として05年までを過ごす。のちのフェラーリ・レギュラーとなるフェリペ・マッサをデビューさせるなど、セカンドチームの役割も担う。

 05年6月にはBMWへの売却が決まり、翌06年からワークスチーム化されることになる。4年間を『BMWザウバー』として闘い、08年にはロバート・クビサによるチーム初ポールポジション、初優勝を記録。だが09年でBMWが撤退、創設者ペーター・ザウバーによってチームは買い戻される。

 エンジンはふたたびフェラーリとなり、12年鈴鹿では小林可夢偉を3位表彰台に導く。ペーター・ザウバーはその12年で、チーム代表の座を退いた。

 14年あたりから財政事情が悪化、チーム成績も一気に下降。16年には共同株主だったスイスの証券会社にオーナー体制が移行され、チームは創設者ペーター・ザウバーの手を完全に離れる。

 17年は1度翌18年からのホンダ・パワーユニット(PU)供給が合意とされたが、のちに破談。フェラーリと新契約を結び直してより提携を深め、さらにアルファロメオのスポンサー参入もあって、再度セカンドチームの色彩を強める。18年にデビューさせたシャルル・ルクレールは元々フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA=若手ドライバー育成プログラム)の一員であり、1年のみの在籍で2019年から跳ね馬『昇格』を果たしている。

 キミ・ライコネンとアントニオ・ジョビナッツィのラインアップで迎えた2020年。前年と同じペアで2シーズン目となったが、この年は序盤からマシンのパフォーマンスが低迷し、フェラーリ製パワーユニットのパワー不足にも悩まされた。

 ライコネンは入賞2回、ジョビナッツィは3回とシーズンを通して苦戦が続き、獲得ポイントはわずか8点。シーズンが進むにつれふたりの去就には注目が集まり、フェラーリの育成ドライバーを起用するのではないかという噂も流れたが、2021年もライコネンとジョビナッツィの続投が決まっている。

 2021年はマシン開発を早い段階で終了し、2022年に導入される新しい技術規則に則った新型マシン開発を優先した。そのためライコネンもジョビナッツィもポイントを獲得したものの、第11戦ハンガリーGPでW入賞を果たしたウイリアムズを最後まで上回れず、選手権9位でシーズンを終えた。ライコネンは2021年を以てF1を引退し、ジョビナッツィはフォーミュラEへ転向する。

 F1に新しい技術規則が導入された2022年、アルファロメオは早い段階でマシン開発に成功した。多くのチームがマシン重量の軽減に苦しむなか、アルファロメオC42は全10チーム中最も軽く、序盤はそのアドバンテージを活かすことができた。ドライバーラインアップを一心し、メルセデスから移籍してきたバルテリ・ボッタスと、ルーキーの周冠宇は開幕戦で揃って入賞し、ボッタスはその後9戦で7度の入賞を果たした。

 しかし徐々に他チームがマシン重量の問題をクリアし始めると、アルファロメオのアドバンテージは無くなっていった。さらにはボッタスが「弱点」だと指摘したように、アルファロメオは開発ペースの遅さが課題となった。後半戦での入賞はボッタスが2回、周が 1回と大幅に減り、選手権では獲得ポイント数でアストンマーティンと並んだものの、6位を守り切った。

 ザウバーにとって、2023年はアルファロメオとの提携最終年となった。前年とは一転してボッタスも周も苦戦し、入賞はボッタスが4回、周が3回。選手権でも最後はアルファタウリに逆転され9位と低迷した。2024年は動画配信サービスを行うオーストラリア企業『Kick.com』がマシンの命名権を獲得し、さらにはオンラインカジノのプラットフォームである『ステーク』がチームのタイトルスポンサーになったため、ザウバーは2024年と2025年を『ステークF1チーム』として戦うことになる。

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