F1 チーム詳細

F1 | スクーデリア・フェラーリ 2024年

スクーデリア・フェラーリ

イタリア

●チーム本拠地:イタリア・マラネロ
●デビュー:1950年第2戦モナコGP
●活動年:1946年~
●出走数:1076
●勝利数:242(初優勝:1951年第5戦イギリスGP)
●PP獲得数:249(初PP:1951年第5戦イギリスGP)
●コンストラクターズ・タイトル:16(1961、64、75~77、79、82~83、99~2004、07~08年)
●ドライバーズ・タイトル:15(1952~53、56、58、61、64、75、77、79、2000~04、07年)

●主要チームスタッフ:
フレデリック・バスール(チーム代表)
エンリコ・カルディル(ヘッド・オブ・シャシーエリア)
エンリコ・グアルティエーリ(ヘッド・オブ・パワーユニットエリア)
エンリコ・ラッカ(サプライチェーン&製造部門責任者)
アントニオ・ジョビナッツィ(リザーブドライバー)
ロバート・シュワルツマン(リザーブドライバー)
オリバー・ベアマン(リザーブドライバー)
アーサー・ルクレール(開発ドライバー)

■フェラーリ プロフィール

 フェラーリはF1の象徴であり、神格化された名前とその存在だ。理由としては、1950年の『F1世界選手権』創設以来、1年も欠かさずに参戦を続けてきた唯一のチームであること。もうひとつは、いまなお語り継がれる創業者エンツォ・フェラーリの絶対的カリスマ性からだ。

 レーシングドライバー出身のエンツォは、その現役時代にアルファロメオをドライブ。アルファロメオの販売代理店も営んでいた。そこから派生する形で1929年、自らの名を冠したレーシングチームを設立。これが第1期の『スクーデリア・フェラーリ』となる。

 32年に息子ディーノが生まれたのを機に、ドライバーからは引退。マネージメントに専念し、一時的にレース活動から手を退いていたアルファロメオからクルマを借り受け、セミワークスチームとしての活動を始める。その後アルファロメオがワークス体制を復活させると、この『第1次』フェラーリは吸収合併され、エンツォはチームマネージャーに就任した。

 だが当時の経営陣と対立し、39年にアルファロメオを去った。このとき、4年間はフェラーリの名前でレース活動を行なわないとの約束がされた。40年には別名で自動車会社を立ち上げ、製造したクルマでレース参戦も開始したが、第二次世界大戦の激化で活動は立ち消えとなる。戦後、47年に改めて自動車会社を設立、社名をフェラーリとし、『スクーデリア・フェラーリ』としてのレース活動も再開させた。このときから、本拠地をマラネロとする。

 そして50年、F1世界選手権が創設されると、初年度から参入する。翌51年、シルバーストンで開催されたシーズン第5戦。前年から出走したレースで全勝中だったアルファロメオを打ち破り、ついにフェラーリはF1初優勝を果たす。このときエンツォが吐いたとされる「私は母親(=アルファロメオ)を殺してしまった」との言葉は、いまもF1史に深く刻まれている。フェラーリは続く2レースも連勝。シーズンを終えると、アルファロメオはF1のワークス活動から撤退した。

 これを機にイタリアを代表するレーシングチームの座は、フェラーリへと移る。52、53年は出走したレースに14連勝。エースのアルベルト・アスカリがドライバーズ選手権を連覇して、初タイトルを持ち帰る。56年ファン・マヌエル・ファンジオ、58年マイク・ホーソーンもフェラーリ所属で同タイトルを獲得した。なお58年にF1にはドライバーズ選手権に加え、コンストラクターズ部門が新設されるが、その初代王座は英国のバンウォールに奪われている。

 コンストラクターズ王座は61年に初獲得、フィル・ヒルのドライバー部門と2冠を達成。64年もジョン・サーティースのドライブで2冠を制した。

 一方でこの時期、自動車会社としてのフェラーリは経営不振に陥り、69年フィアット傘下に入る。だがレーシングチームとしてのフェラーリ、『スクーデリア』は依然としてエンツォが指揮した。

 73年、のちにフェラーリ社長となるルカ・ディ・モンテツェモロがチームマネージャーに就任。エンツォから体制が引き継がれた。新体制はチーム立て直しに成功し、ドライバーズ選手権は75、77年のニキ・ラウダ、79年のジョディ・シェクターと3回、コンストラクターズ部門は75~77年に3連覇、79年にもタイトルを獲得した。

 だが80年代からは、一転して暗黒の時期が訪れる。82、83年とコンストラクターズ選手権を連覇したが、伝説のドライバーとして知られるジル・ビルヌーブが82年に予選中の事故で死去。以後、長い期間、両タイトルの獲得からは遠ざかる。

 エンツォも88年8月、90歳でこの世を去った。これによって、『スクーデリア』もフィアットが全権を握る。特筆されるのは、エンツォの死から約1カ月後のレースだ。相手の自滅によるものとはいえ、聖地モンツァでフェラーリは1-2を決め、この年のマクラーレン・ホンダ全勝を阻止した。

 90年にアラン・プロストの手でF1通算100勝。だがこの年のドライバーズ王座をもう一歩のところで逃すと、やはり復活への道は遠い。そして96年を前に2年連続王者のミハエル・シューマッハー獲得に成功すると、完全に彼中心のチーム体制をつくった。

 99年、そのシューマッハーがクラッシュで脚を骨折して6戦欠場の事態はあったものの、16年ぶりにコンストラクターズ王座を奪回。新組織体制は軌道に乗り、2000年はシューマッハーが実に21年ぶりのドライバーズタイトル獲得をもたらす。04年までコンストラクターズは6、シューマッハーは5まで選手権連覇を延ばし、F1にかつてない黄金期を形成した。シューマッハー離脱後も07、08年にコンストラクターズ部門、07年にキミ・ライコネンがドライバーズ王座に就くも、以降は無冠。

 ふたたび苦難の時代が続くが、F1での通算勝利、ポールポジション、ファステストラップ、チャンピオンドライバーの輩出、コンストラクターズタイトルは、すべて歴代トップの数字が並ぶ。長い歴史からすれば当たり前とも言えるが、そういう意味でも『跳ね馬』はやはりF1の象徴なのだ。

 2019年シーズン後半、フェラーリがパワーユニットの燃料流量規定に抜け穴を見つけたのではないかという噂が流れたが、フェラーリ側は不正行為を全面的に否定し、2020年シーズン開幕前にFIAと極秘に和解。フェラーリ製パワーユニットを使用していない7チームからはFIAとの合意の内容開示を求める声明が発表されるも、詳細は明かされなかった。

 その2020年は前年とは一転して大不振の1年だった。『SF1000』のパフォーマンスは低迷し、パワーユニットのパワーも不足。シャルル・ルクレールもセバスチャン・ベッテルも思うような予選やレースができず、この年限りでチームを離れることが決まっていたベッテルにいたっては予選Q3に進出できないことも多かった。表彰台もルクレールが2回、ベッテルが1回で、コンストラクターズランキングは6位と、タイトル争いには絡めず散々なシーズンを送ったフェラーリ。2021年はベッテルの後任としてカルロス・サインツJr.を迎えることが決まっている。

 2021年のフェラーリは、前年に比べてパフォーマンスの向上が見られた。メルセデスとレッドブルには及ばずも、ルクレール、サインツともにシーズン序盤から入賞。ルクレールは第5戦モナコGPの予選でQ3最終盤にクラッシュを喫するも、ポールポジションを獲得。決勝直前になってマシンにトラブルが見つかり、母国レースを走ることができなかったが、続く第6戦アゼルバイジャンGPでもポールポジションを獲得し、予選での速さを見せた。新たに加入したサインツは、フリー走行や予選でのクラッシュが見られたが、シーズンを通して4度の表彰台を獲得。さらに全22戦中20戦で入賞と抜群の安定感を見せ、ドライバーズランキングではルクレールを上回る5位でフェラーリでの1年目を終えた。

 F1に新しい技術規則が導入された2022年、フェラーリはプレシーズンテストから速さを見せていた。開幕戦ではルクレールが優勝し、サウジアラビアGPでは接戦の末にフェルスタッペンに敗れたものの、第3戦では早くも2勝目を挙げるなど、F1新時代における勢力図の変化を窺わせた。ところがヨーロッパラウンドに入ると徐々にレッドブルが盛り返し始め、フェラーリはルクレールが4戦連続のポールポジション獲得で一発の速さを見せるも勝利には届かなレースが続いた。イギリスGPではサインツがキャリア初のポールポジション、ポール・トゥ・ウインを飾ったが、レッドブルとの差は埋まらなかった。結局日本GPでドライバーズ選手権、アメリカGPでコンストラクターズ選手権の決着がついた。戦略のミスやトラブル、ドライバーのミスが目立った1年となったが、シーズン終了後にはチーム代表のマッティア・ビノットが辞任し、アルファロメオのチーム代表を務めてきたフレデリック・バスールが2023年1月より後任となる。

 ルクレールとサインツのペアで迎えた3年目。2023年はレッドブルのが圧巻の強さを発揮し、フェラーリは前年のように序盤から勝利を挙げることはできなかったが、このシーズンで唯一勝利を挙げたのがサインツとフェラーリだった。サインツはイタリア、シンガポールと2戦続けてポールポジションを獲得し、シンガポールではメルセデスやマクラーレンとの大接戦を制して勝利を掴み取った。ルクレールもサインツもコンスタントに上位入賞を重ねたが、最終的にはコンストラクターズ選手権でメルセデスに3ポイント差で敗れ3位となった。

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