更新日: 2020.06.23 12:08
【特別寄稿】2012年日本GP3位表彰台直後の可夢偉ザウバーシート喪失。今だから明かせるマネージャーのF1契約秘話
話を2012年シーズンに戻すと、ザウバーの可能性が完全に途絶えたことを知ったのは、モニシャから聞くその前のレース、アメリカGPのレース後だった。レース後恒例の関係者パーティーの会場で、グティエレスの母が悪気はなかったと思うが、可夢偉に「息子が契約できた」旨を報告してくれたのだ。
ブラジルGPの土曜日夜、可夢偉と私はレンタカーでサンパウロ市内をドライブした。そのときおもむろにクルマを道路脇に寄せた可夢偉は、タイトルスポンサーの話を持ってきてくれた代理店に自ら直接連絡した。
そこで担当者と話をすることができたものの、じつはここ1週間以上“例の日本企業”と連絡がついていなかったという事実が発覚した。
「なんやねん。全然この話あかんやろ」
電話を切った瞬間の可夢偉はさすがに怒り心頭だった。その後、ホテルの部屋に戻ると、私はひたすらKAMUI SUPPORTの状況を確認するしかなかった。
日曜日、決勝レース。レース途中からの雨に「ウエットタイヤに換えたい!!」と可夢偉は訴えたが、チームからは「あと1周」の指示。結局この指示ミスで雨足が強くなり最終コーナーでコースオフ。
さらにピット作業でも遅れ、表彰台を逃してしまった。なんともこのシーズンのザウバーと可夢偉を象徴するような噛み合わないレースになってしまった。
レース後は大急ぎでパッキング。パドックと駐車場は4階分ほどの階段を上り下りしなければならず、シーズン最終戦ということもあっていつもの倍以上の荷物を持って何度か往復をした。
そのあいだに、ザウバー在籍中の3年間にお世話になったフィジオのヨセフ・レベラーにヘルメットをプレゼント。さらにペレスともヘルメット交換をした。そしてパドックを去るとき、ペーター・ザウバーから「チームの事情を分かってほしい」と言葉をかけられた。
ホテルに戻ってYouTube用のコメント動画を撮影・アップしたあと、すぐに出発。チームには空港に向かうと伝えていたが、道中にあるホテルに寄って、フォースインディアの首脳陣とミーティングをした。
そこで提示された必要持参金は10〜15ミリオンポンド(当時のレートで約15〜23億円)。イギリス系チームはポンド払いで、レートがユーロよりも高い。
さらにTMGの風洞を使えたら「持参金をバーゲンできるかもしれない」という提案があったが、じつはフォースインディアはすでにTMGの風洞を使っていたうえに使用料の未払いが発生しており、それを支払わずに済ませたいという思惑があったようだ。
このホテルには同時に交渉していたロータス(現在のルノー)も宿泊していて、当初フォースインディアとの打ち合わせで使おうと思っていたレストランに、ロータスの交渉窓口の人物が来てしまうというハプニングがあったため、レストランから見えないエレベーターホールで互いに膝を突き合わせて話をした。
日本に帰国後、可夢偉と私は真っ先にタイトルスポンサーを申し出てくれていた企業のオフィスへ向かった。虎ノ門にあるビルの一室だったが、結局担当者が日本にはいないということで会えず、この話は雲消霧散した。