F1 ニュース

投稿日: 2020.06.23 12:06
更新日: 2020.06.23 12:08

【特別寄稿】2012年日本GP3位表彰台直後の可夢偉ザウバーシート喪失。今だから明かせるマネージャーのF1契約秘話


F1 | 【特別寄稿】2012年日本GP3位表彰台直後の可夢偉ザウバーシート喪失。今だから明かせるマネージャーのF1契約秘話

 その後は朝から企業訪問や、企業を紹介してくれるという知人や知人の知人といった方々とのミーティング、夜はヨーロッパと連絡という日々が続いた。

 このあいだに「私、ユニクロ知っています」とか「ソフトバンクなら知り合いだよ」という人たちが何人も出てきた。実際に支援を名乗り出てくれた企業との出会いもあり、冒頭のタクシーのシーンはその打ち合わせにいく道中だった。そして、我々が最終的にチーム側に提示した持ち込み金額は9億円。それでも届かなかった──。

 現在、可夢偉はトヨタ自動車から世界耐久選手権とスーパーフォーミュラに参戦する一方で、キャデラックでデイトナ24時間を2連覇し、メルセデスのGT3マシンで耐久レースに参戦。さらにBMWのDTMマシンでスーパーGTとの特別交流戦に参戦し、トヨタ、ホンダ、ニッサンといった日本メーカーを相手に戦うなど、メーカーという枠にとらわれない唯一無二のレーシングドライバーとして活躍している。

 それが初めての自動車メーカー、初めてのコース、初めてのクルマであっても、レースのオファーであれば「大丈夫」とできるだけ答えようとするのが可夢偉のスタンスだ。おかげさまで私もさまざまな自動車メーカー、チーム、シリーズとの仕事ができている。

 先日、姉妹誌『F1速報30周年記念号』で可夢偉×中嶋一貴の対談があった。当時を振り返り、可夢偉は「僕が人間的にもっと大人で、どうやって生き残るか? という力があったら生き残れていたと思うけど、後悔もしていない」と語っていた。私自身もっとうまく立ち回れたこともあると感じているけれども、当時としては全力で取り組んでいたので後悔はない。

 私は可夢偉と仕事をするようになって10年経つが、どんな逆境でも彼は決して弱音を吐かず「大丈夫」と言ってきた。可夢偉にとって「大丈夫」の3文字は、覚悟を決めたときの言葉なのかもしれない。

    ※    ※    ※    ※    ※    ※    ※

 この記事が掲載されているautosport本誌 No.1532では、佐藤琢磨の2012年インディ500(最終周のターン1でクラッシュ)直後に起きたこと、トヨタF1の撤退発表直前にTMGと可夢偉が何を思い、どう動いていたかなど“いまだから明かせるエピソード”を多数掲載している。レース人生の岐路に立たされたとき、ドライバーたちがいかに活路を見出してきたのか? 特集内容の詳細と購入は三栄のオンラインサイトまで。

<<筆者プロフィール>>
船田 力 Chikara Funada
1999年、弊社の前身である三栄書房に『F1レーシング日本版』のアルバイトとして勤務。その後、三栄書房の契約社員となり『アズエフ』編集者としてキャリアをスタート。2004年からは『F1速報』副編集長、2006年より同誌編集長に就任し、グランプリの現場で精力的に取材活動を行なった。2009年からは本誌『オートスポーツ』副編集長を務めるなど、モータースポーツ雑誌の編集者として幅広く活躍。同年に退社・独立してからは小林可夢偉のマネジメント業務を担う。F1をはじめWEC/ル・マン24時間やIMSA、国内ではスーパーフォーミュラやスーパーGT(2018年)など可夢偉のさまざまなレース活動を支えている。


関連のニュース