更新日: 2024.11.09 00:00
自分で決められなかった引き際。「中嶋悟さんに背中を押してもらって感謝しています」【山本尚貴SF引退会見全文】
──最後の2レース、どんなレースにしたいか。
「今日の結果次第だなと思ってたんですけど、今日の結果がトップタイムなんかで終わっちゃって、これはやるしかないな、という感じではあります(笑)。もうここまで来たら最後勝って、勝ち逃げしたいなと思います」
「フリー走行終わって何人か選手が来てくれたのですが、『ずるいな』みたいに言われると、『しめしめ』と思ったところもあるし、この最終戦で大切なのはチャンピオン争いをしているドライバーたちですから、自分の引退レースだからといって自分が一番目立つことだけはしたくはないと思っているのですが、いい意味でチャンピオン争いをかき乱して、『最後、(山本に)勝てないで終わっちゃたなぁ』とライバルにたちに思われながら退けたら、それが一番自分のベストな引き際だったと思えるのかな、と」
「でも一番はやっぱりチャンピオン争いをしている選手ですし、その他にもこの最終戦のレースでこれからの人生が変わる選手もたくさんいると思うので、そんなライバルとまたしのぎを削りあって、最後戦えたらいいなと思います」
──3回タイトルを獲得したが、一番バリューが高い、誇りに思うのはどれか。
「ひとつには絞れないです。無理ですね。すべてに思い出があるし、本当に優秀な選手、エンジニアさんはたくさんいると思いますが、どれかひとつが良ければいいわけではなくて、すべてが噛み合さって、噛み合わさってもうまくいかないことが多い中で、僕が3回のタイトルを獲らせてもらった中で優秀なエンジニアさん、メカニックさん、監督さん方とお仕事をさせてもらい、最後自分がステアリングを握ってチャンピオンを獲らせてもらえたのは本当に幸せだったと思いますし、ひとつには絞れません」
「でも本当にどれかひとつに絞ってくれと言われたら、自分の運命が変わったのはやっぱり2013年の最初のタイトルだと思います。あれがすべて、自信を付けさせてくれて、責任・プライド、すべてが生まれたのが2013年最終戦での優勝とチャンピオン(獲得)だったなと。あれがなければ、その後の2回のダブル・タイトルにはつながらなかったと思いますし、ホンダの苦しい時期もあったし、ときには自分が勘違いしてちょっと奢りがあった時期もあったかもしれませんが、でも自分が引っ張っていかないといけないという自覚と覚悟が芽生えたのは2013年のタイトルだったのかなと思うので」
「あれがプロとしての自分を確立してくれて、今の自分ができたのかなと思うので、あのタイトルを取らせてくれたメンバーには特に感謝しています」
──最終大会の舞台が鈴鹿。デビューも鈴鹿、初PPも初優勝も初チャンピオンも鈴鹿。改めて鈴鹿で迎えるラストレースについて。
「僕にとって鈴鹿はすべての人生に大きく影響しているサーキットのひとつ。ここで1992年にF1を見て、黄色いヘルメットをかぶっているアイルトン・セナ選手を見て『なんてカッコいいんだ』『ああいう風に戦ってみたいな』『レーサーになりたいな』と子どもながらに思うきっかけを与えてくれたのがこの鈴鹿サーキットでした。ちょうどシケインで見ていたんです」
「その後に、GTも含めて、初優勝は全部鈴鹿ですし、ポールを獲ったりとか優勝した回数が多いのも鈴鹿。本当に感謝してもしきれないくらい、いろいろと人生を導いてくれたサーキットだと思うので、この鈴鹿サーキットでスーパーフォーミュラの最後を迎えられるというのは、何かの縁なのかなと思います。その縁を大切にしながら、最後に大暴れしたいなと思いますし、優勝目指して頑張りたいと思います」
(会見終了後、フォトセッション前にマイクを握り直して)
「なかなかあまり今まで言えなかったのですが、本当に15年間、メディアの皆さん、たくさん記事にしていただいて、映像を作っていただいて、本当にありがとうございました」
「調子が良いときはペラペラ喋ってたんですけど、結果が悪いときっていうのはなかなか素直になれなくて、ものすごくイライラして、笑顔になって素直に皆さんのインタビューにちゃんと答えられなかったときもあったかもしれませんが、皆さんにたくさん記事にしていただいて地位を確立させてもらえたことは、本当に感謝しています」
「僕はこれで終わりですけど、これからスーパーフォーミュラは長く続きます。これから優秀な選手がたくさんここのステージを皮切りに世界に羽ばたいたりとか、スーパーフォーミュラをもっともっと盛り上げるべく、選手たちが頑張ると思うので、そんな選手たちに最大のリスペクトを送りながら、これからのスーパーフォーミュラを盛り上げていただきたいなと思いますので、引き続きよろしくお願いします。本当にありがとうございました!」