F1 チーム詳細

F1 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム 2024年

メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム

ドイツ

●チーム本拠地:イギリス・ブラックリー
●デビュー:1954年第4戦フランスGP
●活動年:1926年~
●出走数:293
●勝利数:124(初優勝:1954年第4戦フランスGP)
●PP獲得数:135(初PP:1954年第4戦フランスGP)
●コンストラクターズ・タイトル:8(2014~21年)
●ドライバーズ・タイトル:9(1954~55, 2014~20年)

●主要チームスタッフ:
トト・ウォルフ(チーム代表&CEO)
ハイウェル・トーマス(メルセデスAMGハイパフォーマンス・パワートレイン・マネージングディレクター)
ジェームス・アリソン(テクニカルディレクター)
アンドリュー・ショブリン(トラックサイドエンジニアリングディレクター)
ミック・シューマッハー(リザーブドライバー)

■メルセデス プロフィール

 メルセデスは過去、1954、55年にF1に参戦していた。出走した12戦で9勝という高い勝率を残し、ファン・マヌエル・ファンジオを2年連続でワールドチャンピオンに導く。『シルバーアロー』の異名はこれより以前のモータースポーツ活動からのもので、車体が『銀』色で『矢のように』速いというところから来ている。

 ところが55年、ル・マン24時間レースにも参加していたメルセデスは、ドライバーおよび多数の観客を巻き込む死亡事故を起こしてしまう。責任をとる形でメルセデスは、この55年を最後にモータースポーツのワークス活動から手を退き、長い眠りにつく。

 巨人が目を覚ますのは、そこから30年ほども経った80年代半ばになってからだ。85年のル・マンで、のちにF1に参入することにもなるスイスのコンストラクター、ザウバー(現F1での名称はアルファロメオ)にエンジンを供給した。ザウバーはこのメルセデス・エンジン搭載車を、翌86年から当時の世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)に本格投入。勝利を挙げるなどして、メルセデスからの信頼を深める。

 そして88年、メルセデスはモータースポーツの第一線復帰を公表した。同年からWSPCではザウバーをワークスチーム化し、『チーム・ザウバー・メルセデス』を名乗った上で、翌89年のル・マンに勝つ。選手権は89、90年と2連覇した。

 ここでメルセデスの目は、F1に向き始める。91年を最後にしてこの年からスポーツカー世界選手権(SWC)と名称を変えたシリーズへの参加を取り止め、ザウバーにF1への参戦準備を促す。それと前後して英国の名門レーシングエンジンビルダー『イルモア』に資本参加、のちに完全買収する(現メルセデスAMGハイパフォーマンス・パワートレーンズ)。

 ザウバーは93年からF1に参入、1年目はイルモアの名前でエンジン供給がされた。そしてその名称は翌94年、メルセデスに改められる。

 95年からはマクラーレンに供給先を変え、98年にミカ・ハッキネンがドライバーズ部門、チームはコンストラクターズ選手権を制覇。メルセデスはまず、エンジンサプライヤーとしてF1の頂点に返り咲いた。

 このマクラーレンを買収してワークス化するという説はあったが、事態は動かず、公式的な94年の復帰から15年以上が過ぎた。そして09年11月、とうとうその日がやって来る。

 メルセデスの親会社ダイムラーはアブダビの政府系企業と組み、この年エンジンを供給し、選手権2冠を果たしたブラウンGPの買収を発表する。約1年前にホンダが手放したチームだ。

 組織や施設として、このチームは99年からF1に参戦したブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)に遡る。ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)の資金を背景に97年11月、古参チームのティレルを買収。98年はティレルのままで存続させたが、スタッフを含めた一切の資産は引き継がず、99年に向けては本拠地もブラックリー移設となる新チームを発足させた。そこに00年から復帰となったホンダが、エンジン供給を開始。F1のタバコ広告禁止を受けBATが05年で撤退したことから、翌06年からホンダがワークス化した。

 だが、そのホンダも08年限りで第3期活動を突如打ち切り、チーム代表を務めていたロス・ブラウンが引き受ける形で09年を過ごす。いずれ資金的に枯渇することは見えており、09年を制した技術力も買われての買収だった。チームを『メルセデスGP』とし、翌10年からのワークス参戦が始まる。

 ドライバーとしてはまずニコ・ロズベルグ起用を決め、ミハエル・シューマッハをF1に復帰させて『オール・ドイツ』の体制とした。

 だが10、11年と未勝利、年間のコンストラクターズランキングも2年とも4位に留まる。特に2年目は、表彰台すら1度もなかった。

 これを重くみた本社役員会は、翌12年からの予算増額に踏み切る。チーム名も『メルセデスAMG』に改められた。そして12年、ついに第3戦の中国でニコ・ロズベルグが初勝利を達成する。だが王座への前進はなく、チームはルイス・ハミルトンの招聘へ動き、引退するシューマッハーの後釜とした。

 13年はシャシー性能にかなり改善がみられ、ロズベルグとハミルトンが計3勝を挙げてコンストラクターズランキングを2位まで浮上させる。だが、より重要だったのは、翌14年のF1パワーユニット(PU)既定導入を見据えた水面下での開発だ。メルセデスのPU性能は、14年開幕から他社を圧倒。19戦16勝はチーム年間最多勝記録となり、ハミルトンが自身2度目のドライバーズ王座、コンストラクターズ選手権も制覇した。

 15年も同じく16勝、ハミルトンが連覇。16年はレース数も21と増えたが年間勝ち星19とさらに更新、ロズベルグが自身初の王座を決めた。

 ロズベルグはこれを花道に引退したが、後任にバルテリ・ボッタスを迎え、17~19年とさらにハミルトンとの間で選手権2冠をキープ。コンストラクターズ連覇は6として、99~04年のフェラーリによる史上最長と並んだ。

 2020年は人種差別に対する抗議運動が世界的に広まったため、これを支持したメルセデスはマシンやレーシングスーツのカラーをシルバーからブラックに一新。盤石の体制で迎えた2020年は、ルイス・ハミルトンがミハエル・シューマッハーの持つ最多勝利記録を塗り替え、そのシューマッハーと並ぶ7度目のタイトルを獲得。コンストラクターズ選手権では7連覇を達成し、フェラーリの持つ6連覇という記録を更新した。

 新型コロナウイルスの影響を受け、ハミルトンが第16戦サクヒールGPを欠場した際には育成ドライバーのジョージ・ラッセルを起用。無線トラブルやタイヤのパンクで優勝を逃したが、ラッセルはボッタスに負けないパフォーマンスを見せた。

 ボッタスが早々に21年の契約を締結した一方で、ハミルトンとチームとの本格的な交渉はシーズン後にスタート。双方の意見の相違により交渉は難航しているとの噂もあったが、21年2月にようやく1年契約の締結が発表された。

 ハミルトンとボッタスのペアで5年目を迎えた2021年は、コンストラクターズ選手権8連覇という前人未到の記録を打ち立てた。ドライバーズ選手権では、ハミルトンとマックス・フェルスタッペン(レッドブル)がシーズン開幕から接戦を展開。接触による両者リタイアも経験し、シーズン後半はフェルスタッペンがリードを保つが、ボッタスは献身的にチームをサポートし、ハミルトンは終盤に3連勝を記録し同点でアブダビGPを迎えた。しかしセーフティカー運用に関するFIAの不手際で不利な立場に立たされ、ハミルトンはタイトルを逃す結果に終わった。2022年はボッタスがアルファロメオへ移籍し、育成ドライバーのジョージ・ラッセルが加入する。

 技術規則が新しくなり、グランドエフェクトカーが導入された2022年、メルセデスは大いに苦戦した。『ゼロサイドポッド』と呼ばれるサイドポッドが極端にスリムなデザインのW13を投入したメルセデスだったが、序盤からマシンが上下に振動するポーパシング現象に悩まされ、レッドブルとフェラーリに遅れをとった。それでもハミルトン、新加入のラッセルは時に表彰台を獲得する走りを見せたが、ハミルトンはまさかの未勝利に終わった。一方のラッセルはブラジルで初優勝をあげ、選手権ではハミルトンを上回る4位でシーズンを終えた。

 2022年はゼロポッドのコンセプトで大いに苦戦したメルセデスだったが、なんと2023年もそのコンセプトを継続。しかしながらやはりパフォーマンス不足に苦しみ、モナコGPでより通常の形に近いサイドポッドを投入しゼロポッドに別れを告げた。その後ハミルトンがハンガリーGPでポールポジションを獲得したものの、この年は優勝を挙げられずでチームは選手権2位に終わった。

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